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いとうせいこう みうらじゅん『見仏記』(角川文庫)

見仏記 (角川文庫)

見仏記 (角川文庫)

かなり前から気になっていた本、やっと読んだ。私も仏像など仏教美術を見るのは大好きなので。
一読「こんな手もアリなのか!?」と驚いた。なるほど評判になるはずだ。武器は「外し」。
オーソドックスな紀行文の定石からは、大きく外れている。オーソドックスな紀行文というのは、まず今どこにいるのかをおおまかに説明して、視界の中にある対象どれか一つにフォーカスを合わせ詳述し、それから筆者独自の分析を加えオチに導く。ところがいとうせいこう氏の筆はいきなりオチに飛びつくのだ。例えばこんな感じ(p230)。

まずは真木大堂(まきおおどう)に到着。入口に仁王の形をした二メートル近い電話ボックスがあった。これは現代の山門を守るにふさわしい、と思った。なにしろ、すぐ警察につながる。

これで「真木大堂」なる場所のイメージが読者の脳裏に広がりますか?いや、これは決して批判しているのではない。文章を読んでいくら現地をイメージしても実際に自分で現地を訪問したときの現実とは異なっているものだ。仏像を「ブツ」と呼び興福寺の仏頭に一言「加藤登紀子」と言い捨てる彼らの「外し」を味わうことこそが、我々の頭の中に沈殿している既成概念という澱を快く撹拌してくれる、この本の正しい楽しみ方というものであろう。九州に行く飛行機の搭乗口で観光おばちゃんの列に行く手を遮られたみうら氏がつぶやく「これ、テキサスで牛の群れに遭ったようなもんでしょう」(p197)という言葉に「テキサスで牛の群れに遭ったことあるんかい!?」と突っ込みを入れるのは、いとう氏ではなく読者の役割なのである。
(いらんことだがp247〜8の「無自覚にどこか狂ってるの?」という節にいとう氏の自己分析がある。気づかなかったようなことを書いているが、私は計算ずくじゃないかと思う)
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