しいたげられたしいたけ

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なんとなく仏教っぽい本が読みたくなって

大河の一滴 (幻冬舎文庫)

大河の一滴 (幻冬舎文庫)

『見仏記』シリーズがぜんぜん仏教らしくなかったから、かと言ってあんまり抹香臭いのもなんだし(いや、思いっきり抹香臭くても別にかまわなかったんだけど)と思って、だいぶ前に古本屋で買ってそのままになっていた五木寛之大河の一滴』(幻冬舎文庫)を引っぱり出して読んでみた。
名にし負うエッセイの名手だけあって読みやすさはさすが(だったら積ん読なよ、と自己突っ込み)。だけど「ずらし」「外し」を巧みに用いるという手法は、いとうせいこう氏の文章と案外似通っているのではないかとふと気づいた。
例えば(これもどこでもいいんだけど)p162〜「たゆまぬユーモアは頑健な体をしのぐ」ほんとうに大変な時代に生きていく上で、いちばん頼りになるものは何かと論ずる項。まず敗戦後に通貨が紙屑になってしまった事例を出して、お金が頼りにならぬことを説く。続いて「うたごえ喫茶」で歌われた「若者よ、体をきたえておけ」という歌詞を引く。だがC・W・ニコル氏が南極に探検に行ったときの話として、天候の回復を待つために何日もテントで待機しなければならないときに、最後まで耐え抜けるタイプは必ずしも頑健な体を持った人ではないという話を紹介する。そしてアウシュビッツを生き延びたフランクルの体験談を引き…と、まあこんな具合に、次から次へと「素材」を読者に提供していくのである。その材料を子細に検討すれば「単に論旨に都合の良いよう恣意的に並べただけじゃないのか?」とか突っ込みどころはいくらでもありそうなのだが、読者は筆者の次々に提示する話題に思考をゆだねるのが快いのだ。
いとうせいこう氏&みうらじゅん氏の場合は、これがロックバンドやアニメや特撮の話題に変わるというだけではないのか…