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池谷裕二『進化しすぎた脳』(朝日出版社)

進化しすぎた脳  中高生と語る「大脳生理学」の最前線

進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線

というわけで、この本も上記の三点セット(「対談」ではないが「対話形式」とは言えよう)が揃っているため、読みやすいことは読みやすい。ただし後半の(全四章中)第三章以降の専門用語が頻出しだすあたりは、十分消化しないまま読み進んでしまったのではないかという気がしており、読み返す必要を感じる。
近年の脳科学の進歩はめざましいものがあるようで、第一線の研究者の手になる一般向け解説書が多数出版されている。私も昨年は茂木健一郎・田谷文彦『脳とコンピュータはどう違うか』(講談社ブルーバックス)とか下條信輔『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)、同『サブリミナル・マインド』(中公新書)など何冊かを読んだ。
しかし、この手の本を読んで感じる根本の疑問は、「意識はどのように発生するのか」という問いに、果たして自然科学的手法が通用するのだろうかということである。つまり、例えば眼球に入射した画像情報が後頭葉に送られ処理されると言うのはいいが、そこからいかに視覚というクオリア(と言うんだそうです)が発生するのかは説明のしようがないということで、苦し紛れに脳の中に住んで脳内で処理された画像を見ている「小人」*1あるいは「ホマンキュラス」*2を持ち出したりする。
猛烈なスピードで進歩を続ける脳科学がこの根本疑問にどこまで迫っているのか、どこまで迫れるのか、興味は尽きない(研究のために実験動物たちが「世の中にこれ以上に残酷なことは、ちょっとないんじゃないか」と思われるようなやり方で、いじめられまくることには、本当に心が痛むんだけど)。
私が同書を読んで一番の収穫と感じたことは、「物理法則は過ちを犯さないのになぜ人間の思考は過ちを犯すのか?(人間の脳も物理法則に基づいて動いているのではないのか?)」という疑問に、メカニズム的な観点から一つの解答を与えてくれたことである。なるほど、人間の認識や記憶は「あいまいであることに意味がある」のだな。
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*1:「ケプラーの小人理論」と言うんだそうです。p110

*2:=ホムンクルス…下條氏の『〈意識〉とは何だろうか』p145で使われる言葉。『進化しすぎた脳』では「ホムンクルス」は別の意味で使用されている(p47〜)。