しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

藤村久雄『革命家 孫文』(中公新書)

革命家 孫文―革命いまだ成らず (中公新書)

革命家 孫文―革命いまだ成らず (中公新書)

出たばかりのころに買ったのだが読み切れずに積ん読していた。最近、浅田本とか陳本とかを読んで、なじみのある清末の人名が増えたので再チャレンジしてみたら、あっさり読めた。知識の集積には相乗作用があるものだ。
それにしても、苦難を伴わない革命などというものは存在しないにしろ、辛亥革命とは何という苦難に満ち満ちた革命であったことか。老朽化の極みにある帝国相手とはいえ、革命派が繰り返す武装蜂起は、圧倒的な国家権力に対しては壁に卵を投げつけるようなものである。1911年の出来事は、一地方の反乱が全国に波及したというプロセスを見ると本朝の明治維新に似ていなくもない。ただし明治維新においては徳川慶喜はかなり早い時期に自ら将軍の座を降りたが、かの国では6歳の幼帝を擁する清朝政府は全土の2/3が離反しても居座り続け、皇帝が退位するのは最大の軍閥である袁世凱が革命側につく旗幟を鮮明にしてからである。
清朝が崩壊しても、革命政府の基盤は脆弱極まりなく、独自の財源さえ持っていなかった。ほどなく中華民国政府の実権は落ちるべくして袁世凱の手に落ちる。なんたる時代錯誤かこの野心家は、自ら帝位につき新王朝を開くことを企てるが、野望の達成を目前にして急死する。袁世凱が舞台を去っても民国政府は各地方に割拠を決め込んだ軍閥の危ういバランスの上に立つ砂上の楼閣のような存在で、彼らがようやく一息つくのは、1917年のロシア革命で成立したソ連政府が、旧ロシア政府が清国政府と結んだ不平等条約の撤廃を申し出、民国政府に援助を始めてからである。これはもちろん誕生したばかりのソビエト政権が自らの命を守るためであっただろうが、私は1853年に日本に開国のきっかけを与えたアメリカが1861−65年の南北戦争に突入し、68年の明治政府成立までいわば「一回休み」の状態にあったことを強く連想する。どこの国も一国だけの歴史を持っているわけではないのだ。