しいたげられたしいたけ

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小和田哲男『軍師・参謀―戦国時代の演出者たち』(中公新書)

表紙の見返しの紹介文には、山本勘介、山中鹿助真田幸村(著者によれば真田信繁が正しいとのこと。p209〜)、竹中半兵衛など歴史ファンには人気の高いナンバー2たちの名前が並ぶが、読んでみると銘々伝的な部分は後半の1/3ほど、それも彼らの事績の紹介は既知のこととしてそこそこに、史料を駆使しての実態の解明に紙幅の多くが費やされる。前半は「軍師」の仕事の実態。当時の知識人として、戦国大名相手に『孫子』『呉子』などいわゆる「武経七書」と呼ばれる漢籍を講義したことに始まり、出陣の方角や日時を占うなど加持・祈祷など陰陽師・修験者が行うような仕事を専門にしていたという(その意味で著者は、真田幸村は「戦巧者ではあっても軍師と呼ぶことはできないのではなかろうか」と書く。p213)
以下、とりとめもなく思いついたことを。私は「何のために学問をやるのか」という問いをずっと抱えているのだが、学問の原初的なモチベーションの一つに「勝つ」ということがあるんじゃなかろうかという気がした。「勝つ」とは、戦争や金儲けの手段という意味もアリだし、直接的な「論争に勝つ」ということもアリだが。哲学のサルトルv.s.レヴィ=ストロース論争や物理学のボーアv.s.アインシュタイン論争は、それぞれの分野を爆発的に発展させた。