しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

吉村昭『天狗争乱』(新潮文庫)

天狗争乱 (新潮文庫)

天狗争乱 (新潮文庫)

幕末尊皇攘夷派の首魁的存在であった徳川斉昭没後、水戸藩は激派(尊攘急進派)、鎮派(尊攘穏健派)、それに門閥派(幕府の開国政策に従う守旧派)の三派に分かれて抗争し、門閥派がほぼ実権を手中にしつつあった。それに反発した激派が、藩を離れて攘夷決行を促すための実力行使に出たのがいわゆる天狗党である。
いつの時代でも戦争はとんでもなく金がかかる。また生きていくためには兵糧を使わねばならない(飯を食わなければならない、ってことね)。天狗党は関東各地の豪商や有力者に軍資金提供を求めるが、田中隊と呼ばれる最も過激な一派は、献金を拒んだ壬生藩栃木町の町を焼き無辜の町民を斬殺するという暴挙に出る。
幕府に事態収拾を命じられた水戸藩当主・徳川慶篤(よしあつ)は、自らは江戸を離れられないため、支藩の宍戸藩主・松平頼徳(よりのり)を名代として水戸城に派遣する。だが水戸藩を預る門閥派の市川三左衛門は、頼徳を尊攘鎮派に近い立場の人物と考え、入城を許したら自派の破滅とばかり、幕府の追討軍総括・若年寄田沼意尊(おきたか)と通じた上で、力ずくで頼徳の入城を妨害する。ここに水戸藩は三つ巴の武力抗争の泥沼に陥る…
以下、感想。近代的な軍組織や警察組織のなかった江戸時代に、一千人単位の組織的武力蜂起が発生すると、独力で互角に戦える藩は数えるほどしかなかったという事実が大きな驚きだった。国家というものの成立が暴力集団同士のトーナメントの結果なのだという素朴なイメージを、改めて強く想起する。まあ話はそう単純じゃなく、国家が成立の過程において何段階もの複雑な変質を経由する必要があることは知っているが。それにしても、これがわずか150年ほど前の日本の偽らざる姿とは…
なお日本史物を読む時には『日本系譜綜覧 (講談社学術文庫)』をよく参照させてもらっているが(ヘンな本です、これ(^^;)、江戸時代の諸藩の事情に関しては、中嶋繁雄『大名の日本地図 (文春新書)』も、便利だということがわかりました。索引がないのでちょっと使いにくいけど。『天狗争乱 (新潮文庫)』ではわからなかった市川三左衛門の末路も載っています(p93)。