しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることで人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗している

司馬遼太郎『峠』上・中・下(新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (上巻) (新潮文庫)

私的に文句なし五つ星。主人公は越後長岡藩の家老・河井継ノ助。上巻は黒船来襲で日本中が攘夷に沸き立つ時代背景の中、継ノ助が修行のため江戸・京・備中松山・果ては長崎までを放浪する。中巻は大政奉還と鳥羽伏見の戦い、下巻では戊辰戦争の中でも激戦で名高い上越戦争が描かれる。
継ノ助ほど「快男児」の名がふさわしい人物も、容易に他には思いつかない。旅から戻り長岡藩の要職に抜擢された継ノ助が、藩領内における賭博を禁止するために、自ら町人に変装して胴元の本拠地に乗り込むさまは、まさに時代劇の『遠山の金さん』や『暴れん坊将軍』さながらである。また鳥羽伏見の戦い後幕府の権威が地に落ちる中、江戸藩邸を引き払う際に各藩が放出する備蓄米を買い集めて、海路上越に戻る途上コメの採れない蝦夷函館で売り払い巨利を得る経緯は、今日のネットトレーダー長者を髣髴とさせる。
これら継ノ助の藩を富ませる政策は、乱世の中長岡藩が勤王・佐幕いずれにも属さず武装中立を貫くための実力を蓄えるのが目的である。この目的のため継ノ助は、横浜のオランダ商人スネルから、アメリカ南北戦争の最新兵器・ガトリング砲を、それも当時アジアに三門しかなかったうちの二門を購入するということまでする。
司馬遼太郎の長編に共通する魅力の一つは、ラスト近くの盛り上がりがすごいことである。新潟平野に進出してきた薩長など「官軍」(長岡藩側は「西軍」と呼ぶ)と、継ノ助は幾度かの和平交渉を重ねるがついに決裂し、開戦という最悪の結末を迎える。ガトリング砲は下巻のp340という終盤も終盤に至って、ただ一度、火を吹く。戦艦大和なんかもそうだと思うんだけど、使っちゃいけない武器というものがあるような気がする。使っちゃいけない武器が使われるときには、武器自体もその本来の性能を十分に引き出されたとは言えない不本意な使われ方しかされないし、また使い手にとってもその終焉を意味する…