しいたげられたしいたけ

拡散という行為は、元記事の著者と同等以上の責任を拡散者も負う

速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

私的五つ星。
読みどころは第五章〜第七章。著者は「仮想的有能感」という概念を導入する。定義は「過去の実績や経験に基づくことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感」(p118)である。
で、これを定量化するために、11項目からなる尺度を用意する(p132)。尺度というのは、早い話がアンケートの設問みたいなもの。具体的に一つ二つ記すと「(1)自分の周りには気のきかない人が多い」「(2)他の人の仕事を見ていると、手際が悪いと感じる」という感じで、これに1〜5の五段階で回答させる。さらにその結果を、他の方法で調査した結果と突き合わせ(本書の場合、高校のクラスで調査し、担任・副担任の先生に対する聴き取りによる評価と照合)、その妥当性を確認する。
さらに「仮想的有能感」と対立する概念として「自尊感情」すなわち自分に対する肯定的感情(p155)を導入する。「仮想的有能感」と「自尊感情」の間に相関が見られないことを確認すると、「仮想的有能感」と「自尊感情」を軸とした座標を描くことができるのである。著者はこの座標を用いて「全能型」(仮想的有能感自尊感情いずれもプラス)「自尊型」(仮想的有能感マイナス、自尊感情プラス)「萎縮型」(仮想的有能感自尊感情いずれもマイナス)「仮想型」(仮想的有能感プラス、自尊感情マイナス)という四類型を作り(p162)、さらに調査・分析を進める…
ううむ、なるほど、社会科学的研究(本書「おわりに」によると「実証的研究」)というのは、こういうことをやるのか!
これらの結果を踏まえ、第七章の後半で、自尊感情が低いのに仮想的有能感が高い「自尊型」が若い人を中心に増加しているという結論を示し(p204)、「自尊型」から脱却するための三項目の具体的な提言を行っている。
ただし、若い人の間に「自尊型」が多いのは発達的な差異なのか世代的な差異なのかという問いに対し、著者は後者が強いと考えると述べているが(p204)、この点に関して私は疑問を抱く。著者がそう考える根拠が示されていないのと、自分自身のことを振り返ってみるに、十代二十代の頃は怖いものなしで、他人のすごさ・えらさを評価できるようになるまでには幾度かの痛い目を見た転機を伴う成熟が必要だったように思うからである。つまり、個人の中での変化は、あると思う。
このような研究が始まったばかりであり成果を蓄積する必要があることは著者自ら「おわりに」で書いているので、もし「自尊型」からの脱却を促すノウハウなりメソッドなりも何種類も開発され蓄積されてゆくのであれば、状況も変わっていくのではないかと期待する。またなにより「自尊型」というのが、これだけ正体が明らかされてみると、さほど対策を急ぐ必要のあるものでもないような気もするのだ。
追記:(3/27)
p162の図6-2「有能感の4タイプ」をスキャナでよみとったものを、理解の補助のためにアップしときます。
この日の記述をアップしてから、リンクをたどって本書に関する評判をいろいろ読んでみたが、いやはや、評価、低いね。酷評と言えるものすらある。だが問題は、その低い評価を下している読み手たちには、どうも本書をきちんと理解しているとは思えないフシが共通している点である。私の方が誤解しているのじゃないかと疑ってみたい気も起きるが、そうでないという自信はある。本書に対して低い評価を下している読み手たちは、肝心の(と私は考える)「仮想的有能感」という仮説とそれに関する実証の部分を、きれいに見落としているとしか思えないのだ。読者の内なる「仮想的有能感」が、他ならぬ「仮想的有能感」という概念そのものの理解を妨げているとしたなら、なんという皮肉なことであろうか。私は本書や著者に対して何の義理もないが、ちらっとそんなことを書き足しておきます。