しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることで人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗している

カント『純粋理性批判』を読んでみようかと思う

中島義道氏は、30年間カントを読み続けているという。まぁ中島氏はプロなんだから当然と言ってしまえばそれまでだが、劇作家の宮沢章夫氏は、やはり30年近く『資本論』を読みたいと思い続けて、雑誌の連載という「縛り」(宮沢氏自らの表現による)を得て、ようやくそれを叶えたという。
ならば私も、30年かけて『純粋理性批判』を読んだって、悪いことは何もないのである。このブログを読書ノート代わりと「縛り」に使ってみることにする。
二日みっかで読める本の読書ノートは、これまで通り続けよう。決して排他的ではないのだし、これまでだって都合で読書どころではない時期は容赦なくサボってきた。
なんで『純粋理性批判』なのかというと、この本には私が子どもの頃死ぬほど頭を悩ませてきた問題への「解答」が書かれていると言われているからである。幼い私が死ぬほど悩んだ問題というのは、次のようなものである。「宇宙の果てはどうなっているのか?」「時間はいつから始まったのか?」「私(自分自身、コギト)が存在する前はどうなっていたのか?」実はこれらに対する私なりの解答は、すでに持っている。哲学的に言えばいずれも「無限後退」と呼ばれる形式を持っており、その解決策もまた何種類も提示されていることを、私はすでに知っている。要は自分がそのうちのどれによって納得できるか、ということなのだ。
それにしても、大人たちはどうしてこれらの(私に言わせれば)大問題に、興味すら示さないように見えるのだろうか?記憶に残っている限り、私は幼児の頃に一度だけ、一族でも「秀才」で知られていた叔母に、蛮勇をふるってこれらの質問をしたことがある。返事は「研究しなければ、わからん。研究しても、わからん」であった。それで私の勇気は萎えた。
やや長じて、いろんな本を読むようになった。子ども向けの自然科学の本は、それこそ飽きることなくいろいろなものに手を出し読みふけったが、不思議なことに、どの本もこれらの問題は素通りしているようにしか思えなかった。私の琴線に触れかかったのはわずかに二度だけ。ひとつは『ガリバー旅行記』の「飛ぶ島」の章に登場する「不死人」のエピソードである。この恐ろしいエピソードは、間違いなく「無限後退」の構造を持っている。もう一つは北杜夫氏の「どくとるマンボウ」シリーズのどれだったかで、幼いときにこのような問題に頭を悩ませることは重要であるという意味の、断片が目に触れたことがある。「どう」重要なのか、それが知りたかったのだが、北氏はそれ以上何も語ってはくれていなかった。
私の手にした「解答」と、その「解答」に至る経緯は、ここに書いてもいいがやや長くなるし、なにより他人が目にしたとき「怪しげだ」と言われることを恐れる。いや「怪しげだ」と思われることぐらい怖くもなんともない。正確に言えば、怖いのは養老孟司氏の言うところの「バカの壁」あるいは昔からある言葉で言い換えれば「思考停止」というやつで、「怪しげだ」という声がどこからかあがったとたん、私の語る言葉を理解しようという態度が周囲から消えうせてしまうことである(香山リカ氏がどっかのシンポジウムに出席したとき、誰かが香山氏のことを「あなたは平和主義者だから」と言ったとたん、氏が場から浮いてしまった、すなわち香山氏の言葉に真剣に耳を傾けてくれなくなったというエピソードを思い出したぞ。考えてみれば、ひでぇ国だ。おっと話がずれた)。
で、カントである。カントはほんまもんの権威だから、カントを援用することができれば、「アホ言うもんがアホや」と切り返すことが可能になるのである。
いかん、書いてみるとついわりと実利的なことを言い出してしまったではないか。そんなんじゃない。かつて自分が死ぬほど頭を悩ませた難問を、誰かと共有できればいいのである。それがカントであっても、一族で鼻つまみ者の叔父であっても(現実には私にはそんな相手はいなかったが)、かまわないのである。
篠田英雄氏訳の『純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)』p13「第一版序文(一七八一年)」より。

人間の理性は、或る種の認識について特殊の運命を担っている。即ち理性が斥けることもできず、さりとてまた答えることもできないような問題に悩まされるという運命である。斥けることができないというのは、これらの問題が理性の自然的本性によって理性に課せられているからである。また答えることができないというのは、かかる問題が人間理性の一切の能力を越えているからである。

とりあえずは手元に岩波文庫版があるから、それを読んでいくことにする。何種類かの訳本を相互に参照しあうと理解が進みやすいと言うから、別の版もおいおい手に入れてみようと思う。ドイツ語は無理だが英語なら多少はなんとかなるはずなので、できれば英語版を。