しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

塚本青史『光武帝』(講談社文庫)上・中・下

光武帝(上) (講談社文庫)

光武帝(上) (講談社文庫)

光武帝(中) (講談社文庫)

光武帝(中) (講談社文庫)

光武帝(下) (講談社文庫)

光武帝(下) (講談社文庫)

のっけからヲタなことを書くと、なぜか怪獣は怪獣と戦い、妖怪は妖怪と戦い、超能力者は超能力者と戦う。モビルスーツモビルスーツと格闘し、スタンドはスタンドと対決するのである。
物理学の世界では、素粒子と相互作用するものは素粒子であり、銀河と影響し合うものは銀河である。なぜか同じレベルのもの同士が関係を持ちたがる。しかし時にその垣根を越え、相互に影響を及ぼし合うことがある。素粒子と銀河は、お互いに無関係ではありえない。
前漢末、宮廷闘争を勝ち抜いた王莽が政権を握ると、復古主義的な政策が失敗した中央政権の威信は急落し、たちまちにして中国全土は分裂状態に陥る。レベルの垣根の崩れる瞬間である。
そして赤眉、緑林などの農民反乱とも群盗ともつかぬ集団や、あるいは劉玄(後の更始帝)や主人公・劉秀(光武帝)など地方豪族が、群雄あるいは軍閥とでも呼ぶべき存在に成長して、合従連衡を繰り返しながらお互いに争うのである。まずは王莽政権を倒すために連合し、首尾よくそれに成功すると、新政権の主導権をめぐってかつて連合したもの同士が争いを始める。
09-03の『王莽 (講談社文庫)』に関する記述で、本朝では平安朝の藤原摂関家らによる宮廷闘争に似ているのでは、と書いたが、レベルの垣根の崩れる瞬間という意味では、むしろ建武の新政〜室町初期に似ているのかも知れない。後醍醐天皇は、復古主義に起因する失政のゆえに自ら政権を手放したという意味で、王莽に似ている。ただし宮廷闘争に勝ち残るために自らレベルの垣根を壊し、武士という異なるレベルの存在を闘争の渦中に引きずり込んだという点は、王莽と大いに異なるところである。新田・足利・楠木ら武士団は、群雄に相当する存在であろう。王莽にとって群雄は最後まで他者であった。
しかし、王莽と同じく劉秀もまた物語の主人公となりにくかった理由も、わかるような気がする。上中下の三巻から成る本編は、劉秀が中国全土を統一するはるか以前の時点で完結するが、王莽政権も、後に対立する劉玄も、劉秀の好敵手にはなれなかったし、劉秀が河北を統一し洛陽−長安へと進出した時点で、割拠する群雄はたくさん残っていてもスケール的に劉秀政権に対抗できるものはどこにもなかった。劉秀の中国統一は成るべくして成ったという感があり、項羽と劉邦曹操劉備のようなライバル関係は誰との間にも成立しなかったのである。
追記:9/19
で、なんで劉秀軍が圧倒的に強かったかというと、官僚を使いこなす能力、身も蓋もなく言えば税を取り立てるシステムに最も長けていたからだという理由付けが、具体的な描写は少なく主に地の文による説明によるものではあるが、本編中で示されている。王莽政権が失政続きだったとは言うものの、彼らに代わって長安に入った更始帝劉玄の勢力は、勝ちにおごって更始帝自らが王莽から奪った後宮に入り浸るなど、ろくに政治を見ようとはしなかったという。さらに彼らに取って代わった赤眉はもっと悪く、食糧物資に不足が生じると周辺住民から略奪を繰り返すばかりだったという。つまり王莽の方が更始帝よりマシ、更始帝のほうが赤眉よりマシだったというわけで、劉秀軍が長安周辺に進出する頃には、長安は荒廃しつくしとても首都機能を果たせる状態にはなかったという。
この収税システムが政権維持のカギとなるというパターンは、歴史上に何度も繰り返し登場して興味深い。政府や軍を維持するには莫大な費用がかかるが、必要だからと言って闇雲に取り立てたら強盗と変わらない。宮崎市定は『世界の歴史(6) 宋と元』で、唐末の大反乱「黄巣の乱」において、長安に入城した黄巣があっという間に民衆の支持を失った理由として、政府機構をうまく運転できなくて租税を集められず、流族と変わらぬ略奪を繰り返したことを指摘している(p17)。藤村久雄『革命家 孫文』によると、辛亥革命政府は独自の財源すら持っていなかったという。不撓不屈の革命の士・孫文の生涯には尊敬の念を抱かないではいられないが、このいわば「史上再弱の革命政権」の実権が、あっと言う間に軍閥袁世凱の手に落ちたのも、起きるべくして起きたことであろう。旧日本軍の敗因は数え切れないくらい指摘されているが、「糧ヲ敵ニ求ムル」(必要な食糧物資は敵から奪え)という方針は、中でも最も愚劣なものの一つであっただろう。小林信彦おかしな男 渥美清 (新潮文庫)』によると、渥美清が復員しても戦地での習慣が抜けず「徴発して来た」と言っては窃盗を繰り返す男を演じた映画があるという(手元に本がないため題名失念)。要するに泥棒である。