🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

立間祥介『諸葛孔明―三国志の英雄たち』(岩波新書)

タイトルは上記の通りだが、内容はコンパクトな三国志の時代の通史のような趣である。
三国志の時代の本はいろんな人が書いているが、違う本を読むたびにいろんな発見がある。今回、感じたのは、荊州の主・劉表や、蜀の武将・魏延といった、『三国志演義』では脇役というか、どちらかと言うと割の悪い役回りを演じさせられている人物達が、よく考えるとものすごい一流の人物だったのではないかということである。
劉表はもともとは中央官僚。宦官が跋扈した一時期は失脚の憂き目も見たが、復帰して荊州の刺史(知事)に任命される。だが蟠踞する豪族はこの新刺史の入国すら容易には許さず、劉表は偽計をもっておびき出した豪族の首領55人を斬り殺すなど、実力をもって荊州全体を平定したという(p27〜)。
後半生で守りに入り曹操との対決を避けたため、劉表に対する著者の評も好意的ではないが、本朝で言えば京都出身で美濃一国を実力で切り取り英傑登場の地ならしをした斉藤道三を想起する。
魏延は赤壁の戦いのあと劉備の陣営に加わった武将で、入蜀にあたって大功を立て、劉備が漢中を奪ったとき太守に抜擢され、以後10年にわたってこの要地を堅実に経営した。だがなぜか孔明にはあまり評価されず、孔明が関中進出を企てたとき、地理に通じているはずの魏延の提言は退けられ、孔明お気に入りの若きエリート・馬謖が責任者に任命された。結果は周知の通りである(p174〜)。
本朝で言うなら、勇将と能吏という人も羨む二つの顔を兼備しながら、後生を全うすることができず悲劇的な最期を遂げた明智光秀や石田三成を想起する。魏延の後半生は彼らほど劇的ではないけれど。
評価や好悪は当然いろいろあろうけれど、青史に名を留めるほどの人物に、半端な人間がいるわけがないんだよね。
あと、前後出師の表が、書き下し文と現代語訳で収録されているのがありがたかった。前出師の表はあちこちで読めるけど、後出師の表は案外載っていない。書き下し文の「日を并(あわ)せて食う」が「一日の兵糧を二日で食べる(ほどの苦労をする)」という意味だと、説明なしで理解できますか?(p188)
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