しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

原彬久『吉田茂―尊皇の政治家』(岩波新書)

吉田茂―尊皇の政治家 (岩波新書)

吉田茂―尊皇の政治家 (岩波新書)

善悪・好悪は別にして、どこの国にも、その国の形を決めたというべき大政治家というものはいるもので、そういう人物の伝記を読むのが好きである。
彼らに共通しているのは、彼らの人生の早い時期において、彼らの権力の源泉というべき実力を獲得していることである。そしてそれらは、凡人には一生かかっても獲得できるものではない場合が多い。
例えば金大中は、若くして海運業の経営者として成功している(そのような人物が、40〜50代にたびたび投獄され、その過酷な環境のため下半身に後遺症を残すほどの目に遭っている。不撓不屈というのはまさにこのような精神に対する形容であり、真似のできる人間がどれほどいるだろうか?)。ヒトラー毛沢東は、早い時期に彼らの所属した政党で頭角を現し党内の主導権を握っている。ガンジーは法律家として、M.L.キングは伝道師として、それぞれ成功し全国的な名声を獲得している。
さて本朝の吉田茂はというと、実父・竹内綱国会議員であり、養父・吉田健三は裕福な実業家であり、岳父の牧野伸顕は明治の元勲・大久保利通の次男である。吉田は「神童」と呼ばれた優秀な学生であり、外務官僚として頭角を現したのは吉田自身の実力であったことに間違いはなかろうが、血筋や閨閥がモノを言うというあたり、いかにも日本社会だなぁという感想を抱かずにはいられない。
開戦前、吉田ら外務官僚は戦争回避の努力を続け、ために暴走する軍部との対立を深める。
戦争中、軍部は、近衛文麿牧野伸顕らを「軍事上の造言蜚語」を飛ばしたという容疑で逮捕しようという計画を立てていたという(p94)。彼らの逮捕は実現しなかったが、いわば「下っ端」であった吉田は実際に逮捕され、40日余り拘留されている。
かくして戦後、日本政治のトップに立った吉田は、反軍部の姿勢は鮮明であったが、側近の重用や「ワンマン」と言われた政治姿勢に示されるとおり、政党政治や民主主義を本当に理解しているのか疑問視される始末だったという。なにせ現職の総理大臣として臨んだ初の総選挙では、地元高知から立候補したものの、無愛想のうえ演説下手で「吉田茂です」と言ったきりで「よろしく」でもなければ「お願いします」でもない(p137)という体たらくだったらしい。それでも選挙結果は圧勝だったそうであるが。