しいたげられたしいたけ

ルワンダ虐殺の責任を問われたラジオ局DJの弁明「殺せなどとは一言も言っていない。俺はただ、危ないぞと言っただけだ」

小倉清子『ネパール王制解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト』(日本放送出版協会)

ネパール王制解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト (NHKブックス)

ネパール王制解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト (NHKブックス)

うわっ、全然知らんかった!ほぼ一年前の2006年4月6日、ヒマラヤ山麓に位置する人口200万の小王国ネパールでは、「ネパール会議派」「ネパール統一共産党」など主要七政党がギャネンドラ国王の圧制に反対して呼びかけた全国ゼネストが始まり(p276〜)、国王政府が出した外出禁止令にかかわらず首都カトマンズや隣接するキルティプル市では連日数万人規模の市民デモが両市の環状道路を埋め、ゼネスト19日目の4月24日には、ついに国王はテレビ放送で、2002年5月に自らの手で解散させた議会を復活させるなど政党に対する大幅な譲歩をおこなう演説をおこなった(p284)。ネパール内外のメディアは、この19日間の運動を「四月革命」と表現して報道した(p287)が、実はこの政変劇には、舞台にはいなかった影の主役が存在する。ネパール共産党毛沢東主義派、いわゆるマオイストである。
マオイストは、議会主義のネパール統一共産党とはかつて袂を分かった別組織で、武装闘争路線をとり、国王政府と10年におよぶ内戦を戦い、双方に1万3000人を超える(p7、p298、p303など)犠牲者を出してきた。「四月革命」直前に著者がインタビューしたマオイストの武装闘争指揮官によれば、「首都と郡庁所在地を除く全国土の八割」(p274)が、すでに国王政府の統治の及ばぬ状態であったという。
なぜネパールでマオイストの勢力がこれほど急激に伸張したのか?著者によれば、必然性があったのだという。まず国王政府の腐敗。ネパールを230年にわたり統治してきたシャハ王家の略史は、本書第三章に紹介されているが、これほど陰謀まみれ、スキャンダルまみれの王室というものは、他国にあまり類例を思いつかない(と言っても私がある程度知っているのは、日本の歴代将軍家と中国の歴代王朝ぐらいなのだが)。長くなるので詳細は省略するが、18世紀にネパールを統一した直後の2代目国王から5代目国王までは、全員が肉親を殺すか肉親に殺されるかしている。その後、廷臣のラナ家が王国の実権を握り約100年にわたり独裁制をしく。ラナ家の支配は第二次大戦後に覆され、実権はシャハ王家に戻されるが、2001年にはギャネンドラ現国王の兄に当たる先代のビレンドラ国王が、不可解な事件により10人(!)の王族とともに落命している(ナラヤンヒティ王宮事件。本書ではp47〜に詳述。犯人は皇太子とされるが、皇太子自身も死亡しているので真相は謎のまま。現国王の関与も根強く噂されている)のは、この王家の悪しき伝統という印象が拭えない(さして遠からぬ時代の徳川十五代で、肉親に殺された将軍はゼロ。逆は、三代将軍家光が弟の駿河大納言忠長を自害に追いやったことが思い浮かぶぐらい。清朝の皇帝では、西太后と甥の光緒帝の戊辰変法をめぐる骨肉の争いぐらいか。近世のロイヤルファミリーは、どこもある程度の内部の秩序を確立しているのが普通のはずである)。
にもかかわらず、王室の奢侈。現在ネパールは世界でも最貧国に分類されているというのに、ネパール王室は世界屈指の裕福な王家であったという(過去形なのは、「四月革命」後、ギャネンドラ国王の私有財産のかなりの部分が、ネパール政府に接取されたというため)。そして、現王朝に限らずネパールの多くの支配者が、ヒンドゥー教を国教として国の統治に利用してきたこと。『ヒンドゥー教―インドの聖と俗 (中公新書)』などを読むと、悪名高いカースト制度も、土着のインドの地ではそれなりに合理性も必然性もあったもののようだが、いかんせんネパールの場合は外来の征服者(主にアーリア系)が先住民(モンゴル系など、いろいろ)に押し付けたものであり、自分達を高位カーストに、被征服民を低位カーストに、力ずくであてはめたものだという。先住民の立場からしたら、たまったものではない。
さらには、第二次大戦を経て隣国インドが独立すると、ネパール国内にもインド会議派の影響を色濃く受けたネパール会議派が成立し民主化を要求したが、ネパール王室は彼らの力を削ぐためには手段を選ばず、なんと彼らと対立するコミュニストの拡大を奨励するということまでやってのけたという(p194〜)。「ロイヤル・コミュニスト」という言葉が出てきたとき、最初その意味がよくわからなかった。共産党系の活動家を一本釣りして、王室支持者に仕立て上げるのだそうだ。いやはや。
余談だが、本書には人名・地名はじめネパール現地の固有名詞とともに、英語系のカタカナ語が多用されるが、個人的な感想としては後者はできるだけ漢字に置き換えてもらったほうがありがたかったのだが。例えば「四月革命」でデモ隊が埋めた環状道路を、著者は最初に一度だけ「リングロード(環状道路)」(p276)と表記して以後は常に「リングロード」と書くが、「環状道路」のままの方が、ネパール現地語のカタカナ表記などとまぎらわしくないと思う。もっと極端な例はp68で「オポチュニスト(楽観主義者)」と書いているが「楽観主義者」はオプティミスト(optimist)でオポチュニスト(opportunist)は「日和見主義者」でしょ?
閑話休題。しかし民主化合意成立後も武装闘争路線を捨てないマオイストにも、いまひとつ感情移入ができないというか、全面的に信頼のおけない感がある。暴力は連鎖するもので、マオイスト側から見たら、王室政府がいかに理不尽な弾圧を彼らの上に加えてきたかということになろうが、政府側の警察や軍隊には彼らなりの論理があることだろう。マオイストが支配地域の住民を、自分達の行事に強制的に参加させている節があるのも、気になるところである。
とにかくネパールで起きていることは現在進行形なのだ。幸い、著者のブログがネットで読める(今さらながら、すごい時代だ!)。
http://blogs.yahoo.co.jp/nepal_journal
今後ネパールの政体がどのように変化するかはわからないけど、とにかくネパールの一般庶民に幸あれ!私の願いは、それだけです。