しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

結城昌治『軍旗はためく下に』(中公文庫)

asin:4122000289 で読んだが品切れ。新装版 asin:4122047153 が出ている。以下に示すページはすべて前者のもの。
著者(故人)は、今で言うならミス研OBか大極宮かともいうべき往年の人気推理作家だが、本書で直木賞を受けている。「敵前逃亡・奔敵」「従軍免脱」「司令官逃避」「敵前党与逃亡」「上官殺害」の5つの短編から成る短編集。著者「あとがき」によれば「素材となった事件は存在するが、あくまでフィクションとして書いた」とのこと。
各短編の扉の見返しには〈陸軍刑法〉の該当条文が掲げられている。例えば「司令官逃避」には「第四十二条 司令官敵前ニ於イテ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ隊兵ヲ率ヰ逃避シタルトキハ死刑ニ処ス。」(p102)、「上官殺害」には「第六十三条ノ三 上官ヲ殺シタル者ハ死刑ニ処ス。」(p208)といった具合である。これはまさに「死亡フラグ」というもので、誰も好き好んでそんな危ない橋を渡ろうとするとは思えないが、各短編に登場する人物達は、どうしようもない軍隊の理不尽の中で、追い詰められるようにしてそのような罪状を身に受ける。
石原慎太郎都知事が5月17日にニューヨークで講演して「日本軍が女性を強制的に従軍慰安婦にしたという事実はまったくない」「ただ業者がいた」という意味のことを発言したと報じられたが、本書p73〜74には、こんな記述がある。

大隊長慰安所なんかへ行くものか。ちゃんと専用の姑娘〔クーニャン〕を囲っているんだ。すごい美人だぜ。年は十七、八だが、色がぬけるように白くて、日本にあれだけの美人はいないな。どこで見つけたかは知らないが、どうせ強引に掻っさらった女だろう。部隊が移動するたびに、その女もつれて移っているらしい」
「いいじゃないか。大隊長ともなれば、兵隊みたいに慰安所の女を買うわけにいかない」
 戦闘が一段落して駐屯地がきまると、大隊あるいは中隊の本部は、周辺の部落の村長に命じて女をかり集め、兵隊の性欲を処理するために慰安所を設ける。

この将校達は兵站基地から前線に届く物資をピンハネしたりもしているのだが、それを告発するため薬指を切って血書をしたためた作中人物は、逆に「従軍免脱」すなわち自分の体を傷つけて兵役を逃れようとしたとして、軍法会議により死刑判決を下される。
本書に描かれる数々の理不尽・不条理の原因を考えると、一端は「敵地に糧を求める」(p88)という旧日本軍の基本戦略の誤りに行き着くように思う。慰安婦云々というのは、その大きな問題の一つの現れ方のように思う。兵站を軽視し戦線の拡大を急ぐ方針は、勝っているときは華々しい戦果を上げているように見えるが、一旦守勢に回るとこれほど危ういものはない。周り全部が敵になるのだ。「徴発」の名の下に、食料や、女性までもを奪い取られた現地の住人が、怒らないわけはないのだ。ケンカをするときに直接の相手以外に敵を増やさないのが得策なのは、小学生でもすぐに学ぶことなのだが、不思議なことに戦争という国相手のケンカをやっていた旧日本軍は、最後の最後までそれを学んだふしがない。かくして旧日本軍は、中国大陸でも、ビルマミャンマー)でも、あるいは「女は三角形の葉っぱで局部を隠す程度、男は全裸、肌の色は本当に真っ黒で、全身に刺青をしている」(p150〜151)という先住民の住む南方のバースランド島というところでも、正面の敵のみならず先住民の報復にも脅かされながら「転戦」(敗走)を続けなければならなかったのである。
現地人から「徴発」(略奪)できないとなると、味方ですら標的にされる。

バースランドに移って間もない頃、連隊から叺〔かます〕が届いたことがある、中隊の准尉が叺をあけた、叺には米が入っているはずだった、ところが、入っていたのは石ころだった、叺を運んできた兵隊は、殴られる覚悟をしているようで、今にも泣きそうな顔だった、運んでくる途中、部隊を離脱した友軍の街道荒らしに遭って、中身を詰め替えさせられたというのだ、軽機を突きつけられ、抵抗のしようがなかったという、だったら連隊へ引返せばいいものを、わざわざ命令通りに石ころ入りの叺を運んできたのだ、中隊長はその兵隊を殴らなかったが、受領印を断って追い返した、ばかな話だった、いかにも日本の軍隊らしいばかな話だった

(p224)
なぜ宅配業者に頼まなかったんでしょうね、石原先生?
…本当はもう一つ「生きて虜囚の辱〔はずかしめ〕を受けず」(p5)という別の「原因の一端」についても、考えないではいられないのだが、いい加減長くなったので別の機会に。

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)