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最上敏樹『人道的介入―正義の武力行使はあるか』(岩波新書)

人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)

人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)

1971年のインドによるパキスタンへの介入(p25〜)、'78年のヴェトナムによるカンボジア(p28〜)、'79年のタンザニアによるウガンダ(p34〜)など、数多くの事例が紹介されるが、本書で最も多くのページが割かれるのは、コソヴォ紛争に際しての'99年のNATOによる新ユーゴスラヴィアの首都ベオグラードに対する空爆(p96〜)である。セルビア人勢力がコソヴォでアルバニア系住人に対して行っている迫害をやめさせるため、というのが名目だが、その合法性、実効性などに関して、多くの疑問が提示されている。
まず、高度1500フィートの高空からの爆撃オンリーという戦術は、NATO軍の側に死傷者を出さないことを目的に採用されたというが、結果として多くの一般市民の犠牲者を出したこと(アムネスティの推計で400〜600人)。
次に、空爆のせいかどうかはわからぬにせよ結果的に新ユーゴスラヴィアのミロシェビッチ政権はコソヴォからの撤兵を決めたが、現地のコソヴォでは空爆の直後、アルバニア系住人に対する迫害はかえって増え、難民の数が一気に増えたこと(最大で80〜85万人)。
さらには、コソヴォなど旧ユーゴ地域における一連の紛争は事態が錯綜しており(とても簡単には要約できません。『「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))』などを参照)、多数のセルビア系住民も迫害・虐待の被害に遭っているということ。
NATOの空爆が国連、とくに安保理の決議なしにおこなわれたこと、など。
著者は、「許容しうる人道的介入」の満たすべき要件として、多くの論者(国際法学者のことかな?)が挙げる5項目を示している。

(1)はなだしい人権侵害(フィーラーやウォルツァーの用語によれば「最高度人道緊急事態」)が存在すること。
(2)武力行使は最後の手段であること(それ以外の平和的手段が尽きていること)。
(3)介入の目的ははなはだしい人権侵害の停止に限られ、国益の実現といったそれ以外の目的を含まないこと。
(4)とられる手段は状況の深刻さに比例したものであること。また実施期間も必要最小限に限ること。
(5)とられた措置(とくに武力行使)の結果として、多くの人間たちが迫害から逃れられ、生命が救われるなど、相応の人道的成果が期待できること。

(p103)
さらに国連の役割を踏まえた2項目も紹介されている(p104)。
そして、他の論者の著書を引用して、膨大な歴史上の事例を検証して「これぞ人道的介入と呼べる事例はきわめてまれ」「わずかに、人道的な動機とそれ以外の動機が入り混じった事例がいくつかあるにすぎない」という結論を紹介しているが(p12、p136)、これはおそらく著者自身の結論でもあろう。
ドラマのスーパーヒーローや水戸黄門だったら、最後のバトルですべてを解決するが、現実の国際政治の局面では、武力は「最後の手段」であるとしても、その「最後の手段」を行使したからと言って問題は解決するわけではなく、ほとんどの場合、新たな紛争の火種にしかならないということだろうか。
ただ、軍が最も威力を発揮したのが、紛争地域への必要な救援物資の迅速な輸送だった(p157)という指摘は、新鮮に感じた。ただし、軍組織は救援を受ける人々との接触には訓練も経験も不十分で、文民組織やNGOとの連携が不可欠(逆に言うとしばしば両者の意思疎通がうまく行かずトラブルを生じやすい)という限定つきではあるが。
追記:
ところで、奥付によればこの本の初版は2001年10月なので、執筆は当然アフガン戦争('01/10〜)やイラク戦争('03/3〜)よりも前なのだが、読んでいてどうしてもそれらを強く想起してしまう。上に引用した「人道的介入の5条件」などは、誰しも米国他によるアフガニスタンやイラクの占領政策と引き比べてみないではいられないのではなかろうか。
と、思っていたら、著者には『国連とアメリカ』という、より新しい著作があることを、はてなのリンクで知った。こうやって読みたい本が際限なくどんどん増えてゆくのだ。

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))