しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

司馬遼太郎『酔って候』(文春文庫)

酔って候<新装版> (文春文庫)

酔って候<新装版> (文春文庫)

幕末土佐藩の藩主・山内容堂を主人公とする表題作の中編と、薩摩の島津久光、伊予の伊達宗城(というよりその命を受けて国産の蒸気船を開発した前原嘉市)、肥前鍋島閑叟をそれぞれ扱った短編三編を収録した中短編集。司馬の小説は好きだし、短いものはとくに好きなんだけど、司馬の言うことは歴史的事実としては案外あてにならないことがままあるとか、人物造形が思いのほか平板というかワンパターンであるとか、気にならない点がないでもない。本書に関して言えば『竜馬がゆく』の外伝のような趣もあり、坂本龍馬の名が登場するのはわずかだが、その影響力が巨大であることを示唆する記述がしばしば現れる。吉田東洋は司馬ワールドではいつも損な役回りばかり割り当てられるが、例えば『坂本龍馬 (講談社学術文庫)』などを読むと意外な能吏の横顔が見えてくるし、龍馬が実は薩摩のエージェントにすぎなかったという実像がわかっている今日の目から見直せば、山内容堂後藤象二郎大政奉還に関わって主体的に果たした役割は、司馬が描くよりもっともっと大きなものであっただろうと想像される。まあ、それはそれとして、小説を楽しめばよいのだが。
なお芳賀徹という人の書いた解説が、学界への悪口ばかりで、つまらない。こんな解説はないほうがいい。
追記:(7/1)
このさいついでに書いとこう司馬遼太郎の気になる点。「○○のような例は史上他にない」みたいな表現が多すぎないか?長編・短編集問わず、一冊読むとたいてい一〜二回は出てくる。史実としては信用できないし、文学的修辞としては陳腐である。