🍉しいたげられたしいたけ

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司馬遼太郎『空海の風景』上・下(中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

タイトルに名前はないが、平安仏教のもう一人の巨人=最澄が、間違いなく本編のもう一人の主人公である。
最澄は若くして桓武天皇に引き立てられた。桓武帝は著者によれば、日本的みかどというより中国的専制皇帝であろうとしたかのようで、河内交野に天壇を築き、いけにえの子牛を屠って中国皇帝風に天を祭ったという(上p45)。血を忌む日本神道や皇室の伝統から見たら全く例外的なことなのだそうだ。
最澄は渡来人の家系の出で、伝説によればその先祖はなんと『三国志』で有名な後漢の献帝なのだそうだ(上p171)。著者は桓武帝が最澄に肩入れした理由を、帝の生母の高野新笠が百済出身の渡来人であること(上p190)や、後宮に百済王家ゆかりの女性を何人も入れたこと(上p191)などから説明しようとするが、「はぁ…」としか言いようがない。
最澄は既存の仏教を「(経ではなく)論にすぎない」(上p169、178、211他)として、既成勢力である「奈良六宗」と激しく対立する。「経ではなく論にすぎない」というのは、仏陀の言葉自体ではなく後世の他者が論じたものだ、ということだろうか。そして最澄は自分の不満を解消する根本経典が唐土の天台山にあるらしいことを知り、遣唐使船に乗ることを望んで叶えられる。
最澄は入唐すると、首都長安に向かうこともなく天台宗のある台州に直行し(下p63)、帰国の船待ちの間に、越州の竜興寺というところで、順暁という僧から密教の手ほどきを受ける。著者は最澄にとっての密教を「拾いもの」としばしば表現する(下p64、151、154他)。
帰国後の最澄との鋭い対立を迫られることになった「奈良六宗」など既存の仏教勢力は、対抗上、最初から密教の修得を目的として唐に渡った空海に接近する。著者によれば、空海が長安で師事した恵果という僧は、密教の正当の継承者で、順暁は「いわば傍流の人」(下p65)だったのだそうだ。
自分が持ち帰った密教より、空海の持つ密教体系のほうが優れていると悟った最澄は、辞を低くして空海に借経(経典の貸し出し)をしばしば申し入れる。こうした最澄の真摯な態度を、著者は好意を込めて描いているようである。しかし空海の側には、密教は本来「師承」によるもので「筆授」を嫌うものだという「常識」があり(下p160)、それがやがて両者を訪れる決別というクライマックスを準備するのである(考えてみれば、そういうクライマックスを持つ長編小説も珍しいかも)。
もう一つ、物語のクライマックスには『理趣経』という経典が重要な伏線になっているのだが、本日の日記を書くためにざっと読み返してみたら、この経典名が上巻p76と意外に早くからすでに言及されているのに気づいて、ちょっと驚いた。下巻では何度となく出てくるのだが。