しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない。

石上善應『往生要集 地獄のすがた・念仏の系譜』(NHKライブラリー)

実は、源信『往生要集』も岩波文庫版で入手はしているが、こちらも漢文読み下し文なので、おいそれとは歯が立たない。ぼつぼつ読み進めることにしよう。本書に限らずNHKライブラリーは、ラジオ放送のテキストが元になっているので、とにかく読みやすいのだ。原典からの引用にも必ず現代語訳がつけられているし。
往生要集の冒頭は八大地獄の記述から始まる。すなわち等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間である。八大地獄は俗耳に入りやすく有名だが、典拠が往生要集だということを知っている人は案外少ないのではないか。
続いて餓鬼・阿修羅・畜生・人・天の六道が記述され、さらに浄土が描かれる。仏教の世界観によると、天界すら六道輪廻の一部であり、究極の場所ではないのだ。天人もまた死ぬのだ。本書ではp112〜114あたりに記述され、三島由紀夫の『天人五衰』という小説のタイトルがそこから付けられたことにも言及されている。ここで脱線すると、『豊饒の海』シリーズ、面白かったです。私見だが、三島由紀夫はエンタメとして読むべきだと思う。何か深いものがあるなんて誤解しちゃダメ。橋本治が指摘しているように、登場人物がやってることは、ただの意地悪。
閑話休題。そして六道輪廻からの解脱=浄土へ至る手段として、「正修念仏」が説かれる。「煩悩、眼を障えて見ることあたわずといえども、大悲ものうきことなくして、常にわが身を照らしたまう(煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身)」(親鸞は「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」として引用)という一代の名文が登場するのも、この節である(本書p130〜)。
これをもって浄土教系では源信を日本浄土教の祖とするが、これもよくある話で源信自身は終生、天台の僧であった。本書p174以降では、天台宗における念仏修行の詳細が記されている。坐り続けること90日の常坐三昧、念仏をとなえて歩き続けること90日の常行三昧、その二つを交互に行う行坐三昧(法華三昧)など。休み方にもルールが定められていて、これはいかにも難行だと思う。
誰もが感じることだと思うけど、往生要集の構成はダンテ『神曲』に似てる(よね?)。『観無量寿経』は『ヨブ記』に似ているし(ドラマチックな導入、案外珍しくお釈迦様やヤハウェが超能力を使いまくるところ、これも案外珍しく極悪の「敵」が登場すること、著名な導入のエピソードに比べて最もページが割かれている本題の部分に何が書かれているかはそんなには知られていないこと、そして主人公の韋提希夫人やヨブにしてみたら結局それって解決になっているのだろうかと今ひとつ後味がよくないラストなど…)、比較宗教学というのは(というのか?)、ハマり始めたらこれも底なしだろうなという気がする。