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再読

『法然対明恵』(講談社選書メチエ)

法然対明恵 (講談社選書メチエ)

法然対明恵 (講談社選書メチエ)

日記に書き損なったけど、実は先週、中日劇場で前進座特別公演『法然と親鸞』というのを観てきた。
授産施設に行く日だったが、授産施設が野外活動を予定しているとのことだったので、昼間がぽっかりお休みになった。そいでもって、気まぐれで3000円の一番安い席を買った。私のにわか仏教かぶれは、依然継続中である。
劇中の法然と親鸞の台詞に、聞き覚えのあるものが多い。親鸞の台詞の多くが『歎異抄』から採られているのはすぐわかったが、法然の言葉なんてどこで読んだのだろう?漢文書き下しの難解さに挫折中の『選択本願念仏集』(現代語訳で再挑戦中です(^^;)を別にすれば、本書くらいしか持っていない。で、再読して最終章の第四章にその多くが引かれていることを思い出したつか再発見したつか…
例えば、恋に悩む若き範宴(のちの親鸞)に向けた言葉の元ネタは、たぶんこれ。

現世のす(過)ぐべき様〔よう〕は、念仏の申されん様に(念仏を称えやすいように)すぐべし。念仏の妨〔さまた〕げになりぬべくは、何なりともよろずを厭〔いと〕い捨てて、これをとど(止)むべし。いわく、ひじり(僧侶)で申されずば、妻をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。
(「禅勝房伝説の詞」)

(p192〜193)
あるいは、押し寄せる信者との問答は、本書には著者の手による現代語訳が抄録されている『百四十五箇条問答』が出典なのだろう。

問……ニラ・ネギ・ニンニク・肉を食べて、その匂いが消えないうちに、念仏してもよいのでしょうか?
答……念仏をさまたげるものは、何もありません。

問……七歳の子供を亡くしてしまったのですが、物忌みは不要と聞きましたが本当ですか。
答……仏教に物忌みということはないのです。世間で勝手にいろいろなことを言っているだけです。

問……両親より早死にするのは、罪であると言われていますが。
答……この娑婆世界で、親と子のどちらが先に死ぬか、そんなことは誰にもどうしようもないことなのです。

問……お経は坊さんにあげてもらうべきなのですか。
答……坊さんに頼らなくても、自分であげればよいのです。

問……酒を飲むのは、罪ですか。
答……本来は控えるべきだが、飲酒は世のならわしだから、適当にすればよいと思います。

問……生理のとき、お経を読んでもよろしいでしょうか。
答……どんな問題があるというのですか。

(p197〜198)
ただし、舞台の方には100%シンパシーを感じるというわけにはいかなかった。脚本は、法然には善導の著作『観経疏』による、親鸞には法然の導きによる、専修念仏への開眼を、輝きに満ちたカタルシスのように描いているが、私のイメージでは専修念仏というのは五木寛之の言うところの「究極のマイナス思考」(『大河の一滴 (幻冬舎文庫)』)の到達点のように想像している。「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」というアレである。「悟れぬ自分を認めること」こそ勇気が必要なのだ。《後援》として浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真宗高田派が名を連ね、財団法人日本仏教会の推薦を受けている舞台では、限界があってあんまり大胆な解釈はできないものかもしれないけど、例えば井上ひさしの『泣き虫なまいき石川啄木』に登場するような、当人は悟ったつもりでいる俗物坊主を一人出すと、リアリティがぐっと違ってくるんじゃないかなどと想像したりもする。
しかし一方で『法然対明恵』最終第四章によると、法然は頭上からほのかな光を放っていて灯りをつけずに書見ができたり(p175)、関白九条兼実の妻らの病気を治療したり(同)、阿弥陀仏を幻視したり(p182〜3)など、超常能力を発揮したという同時代人の証言があるという。これはわからん…
法然に関する本はもっと読もうっと。

大河の一滴 (幻冬舎文庫)

大河の一滴 (幻冬舎文庫)