しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

武良布枝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

水木しげるはマンガ以外にも文章も面白くて、『ねぼけ人生 (ちくま文庫)』や『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記 (河出文庫)』は、読んだのはかなり前のはずだがけっこう内容を覚えている(ような気がする)。確認のためamazonで検索したら『妖怪になりたい (河出文庫)』の表紙にも見覚えがあったので、読んでいるはずだ。
本書は、水木の奥さんの視点から綴られた、この天才マンガ家の主に戦後の記録なのだが、本人の書いたものはどんな困難や貧乏のさなかにあっても常に「なんとかなるだろう」と楽天的な筆致であるのに対し、本書は、同じ困窮の様子を描くにしても、のっぴきならない深刻さがただよう。
例えば、よく知られているように水木は、戦後しばらく貸本マンガ業界で筆を揮う。ところがこの業界は誰が見ても将来のない斜陽産業で、著者が水木に代わって原稿料を受け取りに神田の路地裏にある出版社を訪れると、社長が火鉢で手をあぶりながら直接応対に出、水木の作品にケチをつけて3万円の約束のところを半額の1万5000円しか渡さなかったりする(p70〜)。のちにはそれも手形になる。
水木が皮が茶色に変色した「腐りかけの」バナナを大量に購入してくるエピソードは、水木本人の著書でも読んだ記憶があるが、本書で読むとかなり切実な印象を受ける(p85〜)。
私に一番印象深かったのは、税務署の職員が「申告所得が少なすぎるのではないか」といって調査に訪れるシーンである。

「正直に申告しています。これだけしか所得がないんです」
「所得がないといったって、生きている以上は食べているでしょう」
「なんとか」
「だからいっているんだよ。これじゃ、あんたたち家族が食べていられる所得じゃないでしょう」
「それでやっているんです」
「だから、他に収入があるんじゃないかって、聞いているんだ」
 そんな収入しかないから、餓死しないように四苦八苦しているのです。それをいってもいっても、相手には伝わりません。
 やがて水木はだまり込んでしまいました。顔が真っ赤に紅潮していました。水木は大きく息をすい込むと、肩をいからせて、大声で一喝〔いっかつ〕しました。
「われわれの生活がキサマらにわかるか!」
 そして、水木はすかさず、質屋の赤札の束〔たば〕を税務署員の前にグイッと突き出しました。これには税務署員も唖然〔あぜん〕としたらしく、早々に退散していきました。質屋の赤札の暑さが三センチにも達していたからです。

(p94)
この状態で著者は、長女を身ごもる。
どうなることかと心底ハラハラしながらページをめくっていると、この直後に水木は、青林堂の創業者にして「ガロ」の伝説の初代編集長=長井勝一に見出されて雑誌に転じ、つづいて「少年マガジン」のやはり伝説の名編集長=内田勝の手によって一躍、人気作家の座に押し上げられるのである。
講談社に招かれた著者は、石造りのどっしりとした「宮殿のような」社屋に圧倒され、畳敷きの部屋で社長が火鉢で暖をとっていた貸本業界とのあまりの違いに唖然とする。水木の作品が「マガジン」に登場したのは1965(昭和40)年で、戦後20年も経っている。遅すぎたくらいのメジャーデビューである。しかし世間一般では「復興の時期はとっくに終わった」と言われていても、貸本屋業界のように復興から取り残された世界は、おそらく他にもいくらでもあったことだろう。出会いとかチャンスとかいうものほど、意のままにならぬものはない。
出会いといえば、メジャーデビューを果たした水木のもとには、次から次へと印象的な人物が訪れる。青林堂の編集者で「まるでおにぎりみたいな、一度見たら絶対に忘れられぬ顔をしている青年」は若き日の南伸坊、水木をして「絵はとてつもなくうまい!」と言わしめながら「ヤスミタイ」という手紙を残して失踪するアシスタントはつげ義春、著者の作った食事を片ひざを立ててものすごい勢いで平らげバリバリと仕事をしたというのは池上遼一、職業は銀行員と聞いて「マンガ家よりもええ」と追い返したら今度は銀行をやめてまた上京してきたのは矢口高雄…おなじみの水木一家の面々である。人の縁というのは、つながり始めると次々と広がってゆくもののようで、実に不思議である。
もう一点。どんなに食えない時期があっても、貧乏から這い上がるストーリーには救いがある。現代の我々が直面している状況では、なんとなく「食えるのが当然」と思っていた状態から、突然「実は食えない」ことに気づくというケースが実に多いのではないか?そこにはどんなドラマが描けるというのだろう?