しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書)

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

ウエブ2.0の現状分析と展望(こうなったらいやだな、こんなふうになればいいな)がテーマなのだが、ウエブ2.0というのは、わかりにくいものが多いIT用語の中でも、他の言葉に比べてとりわけわかりにくいという印象がある。例えば「ブログ」「SNS」「Google」「Amazon」「アフィリエイト」とウエブ2.0の代表格の役者名を並べると、特徴が見えてこないこともない(そういえば本書には「ケータイ小説」は出てこなかった。速水健朗氏には悪いけど)。でもこれでは、パソコンを日常的にいじっている人間にとっては「いまさら」だし、パソコンに詳しくない人にとっては、こうした単語を並べられても意味不明のままだろう。
ウエブ2.0の特徴を「集合知」という言葉で表現する向きがある。そこにはいくぶんか幻想を煽る意図がこもっているように思う。しかし著者は、現状の技術で何か「知」の新しい概念が誕生する(極端な想像を言えばネット上に「意識」が生まれるとか)ような可能性を、明確に否定する。その根拠として、我々の受け止める「情報」が、五感などの「生命情報」、社会の約束事やルールなど「社会情報」、それにウエブで伝達可能な「機械情報」といった階層構造を持つことを示す(第1章)。
さらに著者は、人工知能やシャノンの情報理論の背景に「一神教文化」があることを指摘したり(第3章)、機械と生命の違いを哲学的な視点にまで立ち戻って考察したりしている(第4章)。特に後者に関しては、「オートポイエーシス理論」というのがあることを、私は本書で初めて知った。「オート」とは自己、「ポイエーシス」とは作り出すという意味だそうで生物は自分で自分を作り上げていく存在だが、機械は「アロポイエーシス」すなわち「アロ」=他者によって作り出される存在だということだそうだ(P121〜122)。さらにこの「オートポイエーシス理論」を道具に、人間の「心」という問題にまで踏み込んでいくのだが、いかんせん新書本の一章分の分量では、上っ面を撫でただけという印象にならざるをえない。これはこれで独立したテーマとして勉強してみたい気がする。
しかしそこまで分析しても、なるようにしかならんもんはなるようにしかならんのとちゃう?と思ってしまうのは、私の知的退廃かな?(^_^;