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松本仁一『アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々』 (岩波新書)

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)

アフリカのいまを知ろう (岩波ジュニア新書)』は、伝統的アフリカ社会の意外な(と言っちゃ失礼か)強靭さを伝えてくれているが、本書は、長い苦難の末に独立を達成しながら「国づくり」に混迷を続けるアフリカ諸国のレポートである。
「第一章 国を壊したのは誰か」に描かれるジンバブエは、まるで実験しちゃいけない経済学の実験室のようだ。ジンバブエはハイパーインフレで有名であるが、2007年6月26日にムガベ大統領は「価格半減令」を出した(p16)。その直前の一週間で物価が三倍になるほどのインフレを抑えるのが目的だったが、果たして、靴屋から、食品スーパーから、消費者の買いあさりのため商品が消え、商店主は店頭から商品を引っ込めた。物資は闇にまわり、半減令が出る前より高い値段になってしまったという。また市民が「スーパーにパンが出たと聞けば、勤務中でも仕事を放りだして行列に並ぶ」ようになったため「社会モラルはめちゃめちゃ」になったという(p18)。
やりきれないと感じるのは、ジンバブエはじめ破綻に瀕した国家で権力を握り、利権をあさったり野党を弾圧したりしているのが、かつての「独立の闘士」であるケースが少なくないことである。著者は明治維新を引き合いに出し(p43,75)、維新政府に腐敗がなかったとは言えないとしながらも、西欧列強の脅威を目の前に、国づくりを急がねばならなかった事情があったことを指摘している。いっぽうアフリカ諸国の場合は、東西冷戦構造を背景に「腐敗国家でも存続が可能だった」(p44)と述べる。
これは私の根拠のない印象にすぎないのだが、「国家」というシステムの運転に関する経験の差もあるのではないかという気がする。日本の場合、近現代的な「国民国家」の成立以前にも、徳川幕府という強力な中央政府があった。いっぽう欧州諸国による植民地化以前にアフリカに存在したのは、部族社会の集団にすぎなかった。アフリカ諸国の国境は、現地の事情を考慮せず他人が勝手に引いたものである。
アフリカ諸国は「野党など反対勢力を強権で弾圧してはいけない」「汚職をしてはいけない」「賄賂を取ってはいけない」などのルールがモラルとなるまでのトレーニングを積む機会に、これまで恵まれなかっただけではないだろうか?これらのルールに違反すると、違反した当事者は一時的な利益を得るが、長い目で見ると社会には確実にダメージが残る。しかしそれを学ぶには、時間が必要なのだ。
「第六章 政府ではなく、人に目を向ける」では、ケニアでマカダミアナッツの栽培・加工会社を世界に名を知られるまで育てあげた日本人経営者や、ウガンダで衣料メーカーを経営する日本人社長が登場する。彼らの努力していることは、一例ではあるが「無断欠勤をしない」「遅刻をしない」という基本的なモラルを従業員に定着させることである。そのかわり会社側も「給料の遅配・欠配をしない」ことで、従業員からの信頼を獲得する。
思えばこれらのことは、日本においては当然以前のことと見られる。しかしこういったモラルが当然視されることこそが、我々の住む社会の強みであり財産であるのかも知れない。
アフリカのいまを知ろう (岩波ジュニア新書)

アフリカのいまを知ろう (岩波ジュニア新書)