しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることにより人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗した

また日曜日の予約が埋まらんかった

先週に続いて、また週末が休みになってしまった(泣
いや、世間様では毎週休みがあって当然なのだが、自営業者は仕事がないと収入減に直結する。
まあ以前から日曜日は予約の入りが良くはなかったけど。
広告は打っているのだが、新規拠点の開拓とか早め早めに動いておいた方がいいに決まってると、実は少し前から考えてはいるのだが具体的なアクションはまだ起こしていない。
このへんが一人で仕事をしてると、ついつい自分を甘やかしてしまうところ。ムチを入れるつもりで日記にしておこう。
仕事がないのはしゃあない、割り切って休んでしまえと思い、そう言えば少し前から
『20世紀のはじまり「ピカソとクレーの生きた時代」展』
というのを、主催の中日新聞CBCが大々的に宣伝していたのを思い出した。
会場は名古屋市美術館だったっけ、名古屋市博物館だったっけ、と検索してみたら、正解は名古屋市美術館だったのだが、名古屋市博物館の方で
『特別展 西国三十三所 観音霊場の祈りと美』
という、ものすごい企画をやっているのを発見した!
興味のない人には、なにがものすごいかということがピンと来ないかも知れない。いや、「ピカソとクレー」展の方も、ものすごいし、興味のない人にはものすごいことがピンと来ないだろう。とりあえず「西国三十三所」展のものすごいところを説明すると、二百何十年だったか秘仏扱いされていた清水寺奥の院本尊の「千手観音坐像」が寺外初公開され、しかも公開されるのが奈良国立博物館名古屋市博物館の二か所だけだというのだ!
興味のない人には、やっぱり関係ありませんね、すみません。
ピカソとクレー」展の方もいずれ行くにしろ、こっちを先にしようと即決する。
私の場合、仏教に対する興味は、小学校6年生のときの、社会科の歴史の授業と奈良京都への修学旅行に始まる。当時は自動車や鉄道や飛行機にワクワクするのと同レベルで、仏教美術や仏教建築の写真を見るのがただ楽しかった。最近の仏教かぶれの再燃は、経典が「読むものなのだ」というか「読めるのだ」という当たり前すぎるくらい当たり前のことに、ようやく気づいたことがきっかけである。まあ私の理解力では、般若はひたすら難解であり、法華は冗長であり、浄土は(五木寛之の指摘するとおり)マイナス思考だと感じないではいられないのだが、誹謗正法かなこれ?あ、あと華厳はまだかじってもいません。本当は「修行」というものがあって、それこそが仏教の本質でありそれを知らずに仏教を語るべきではないと言う人がいるのも知ってはいるのだが、こちらは敬して遠ざけている。
私の思うところの仏教は、「存在」に対する「違和感」というか「不安」というか、「恐怖」と言い切ってもいいかも知れない、そうした感情に対する格闘の、長い長い時間をかけた蓄積である。だから、意外なほど科学的な匂いを感じることもあるし、意外なほど現代的だとも思う。そして「悟れぬ自分の自覚」から出てきた浄土系諸宗に、今のところ最もシンパシーを感じ、浄土系諸宗が登場したのが7〜800年前であるにもかかわらず、仏教全体から見たら「ごく最近じゃないか!」という個人的印象を持っていたりする。
今回の展示品では、目玉の清水寺の「千手観音坐像」はさすがに見事なものだったが、長谷寺の「千手観音立像」も造形的に素晴らしかった。あと谷汲山華厳寺の十一面観音立像が入場一番に出迎えてくれていたが、華厳寺は地元の岐阜県なので何度も参拝してるのにこの像は拝観させてもらった記憶はない。展示会にだけ出てくるみたいでずるい、なんて妙な感想を抱く。
常設展では「光明寺の仏像」というコーナーがあった。名古屋市博物館の常設展は何度も何度も見てるのだが、ときどきコーナーを入れ替えているらしい。愛知県甚目寺町にある時宗の名刹だそうだ。時宗開祖の一遍上人は、大好きな仏教者の一人である。「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」という賦算(ふさん=お札)の実物が見られたのがよかった。現役で配ってるんだ!知らなかった。でもそれなら「決定往生六十億人」か「決定往生七十億人」じゃないの、と余計なことを考える。
ちなみに「西国三十三所」各寺の宗派は法相宗天台宗真言宗で、浄土系は一つもないらしい。浄土系の本尊は阿弥陀如来であり、観世音菩薩は脇侍仏の一人に過ぎない。如来と菩薩では格が違うとはいえ、多くの寺院で本尊の座を占め、三十三種類の化身を有し、「観音経」という独自の経典まで持つビッグネームが、宗派が違うと脇侍というのもなんだか不思議な話である。調べると何かエピソードがあるのかも知れない。