しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

菅野博史『法華経入門』(岩波新書)

法華経入門 (岩波新書)

法華経入門 (岩波新書)

岩波文庫の大乗仏典シリーズは、サンスクリットからの現代語訳、漢訳、漢訳書き下しの三点セットが収録されていて、実にお買い得感がある。同じ岩波文庫でも日本古典は原文と注釈しか収録されておらず、私のような軟弱な読者は「現代語訳が欲しい」と思ったことが一再ではないというのに。
しかし惜しむらくは、収録点数が少ない。『般若心経・金剛般若経』、『浄土三部経』上・下、そして『法華経』全三冊でおしまいなのだ。前二者には一応目を通し、目下『法華経』にチャレンジしている。
で、これも私の場合いつものことだが、正面突破を試みて歯が立たず、ついつい入門書に手が伸びるのである。
天才数学者ガロアは「教科書や解説書には目もくれず、大家の書いたオリジナル論文に直接目を通すべし」という意味のことを言ったと伝えられるが、私はどの分野でもそうする力量がない(泣
そんなわけで本書を読んでみた。
法華経』の特徴は「開三顕一〔かいさんけんいち〕」あるいは著者の造語によると「三乗方便・一乗真実」(p47)。すなわち仏教では、阿羅漢となることを目指す声聞乗、縁覚(独覚、辟支仏とも言う)を目指す縁覚乗、成仏を目指す菩薩乗の三種類の教えが説かれるが、仏がこの世に出現した目的はすべての衆生を平等に成仏させること(一乗仏)であり、三種類の教えがあるというのは方便にすぎず(三乗方便)真実は一乗仏しか存在しない(一乗真実)ことを主張する。
法華経』で最も有名な「三車火宅の譬喩〔さんしゃかたくのひゆ〕」で、長者が子どもたちを誘い出すために言及した羊車〔ようしゃ〕・鹿車〔ろくしゃ〕・牛車〔ごしゃ〕はそれぞれ声聞乗・縁覚乗・菩薩乗をたとえたものであり、火宅を脱した子どもたちに与えられた太白牛車〔だいはくごしゃ〕は一仏乗をたとえたものなのだそうだ(p192〜)。
さらに牛車すなわち菩薩乗と太白牛車すなわち一仏乗を、同じものとするか(三車家〔さんしゃけ〕)別ものとするか(四車家〔ししゃけ〕)で、論争の歴史があるのだそうだ(p197〜)。
こうやって説明してもらえると、理解できないでもない。
理解できないのは、その一仏乗なるものの実態である。
法華経』そのものが一仏乗なのだという。少なくともそう読める説明が本書のそこかしこに登場する。
法華経』が『法華経』自体をしきりに礼賛していることは有名であるが、さらに『法華経』の中で『法華経』自体の受持・読誦・解説・書写の功徳が強調されているという。
それが一仏乗なんだろうか??
渡辺照宏日本の仏教 (岩波新書)』には、次のような部分がある(p179)。

法華経』の特異性は『法華経』自体の極端な賛美である。『法華経』の本文の中に、この経は「諸経の中の王」だと書いてあるのであるから、常識ではわりきれない。

(上記引用部に続く十数ページにわたる『法華経』批判は激烈で、ちょっと見ものです)
本書でも、江戸時代の国学者平田篤胤による「『法華経』は薬の効能書きばかりで、肝心の丸薬がない」という批判の言葉が紹介されている(p75)。もちろん著者は直後に「国学の宗教家を図る彼は『法華経』の宗教性を理解しようとしなかった」と反撃しているけど。
なんとなく有名ネットマンガの

これは?
「あなたの人生そのものです」
タマネギに見えるのですが。
「そういうものです」
・・・いくら皮を剥いても中身が出てこないのですが。
「そういうものです」

というセリフを思い出した。
いらんことだがあれは

しかも
涙が止まりません
「そういうものです」

と続くんだった…