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菊池契月展@三重県立美術館に行ってきた

シルバーウィーク最終日。とは言うものの、以前のエントリーで述べたとおり、うちの場合は開店休業であるが。
こういう場合、よく美術展に出かける。たまたま新聞広告で、三重県立美術館で【生誕130年記念 菊池契月展】というのをやっているのを知ったので、行ってみることにした。

菊池契月という人のことを知っていたわけではない。自宅から津市までというのが、近からず遠すぎもせず、たまに外出するにはいい距離かなと思ったからだ。
菊池契月は京都画壇の重鎮だそうで、日本画の人だがヨーロッパ留学してジョットらの宗教画を模写したりもしている。会場でもらったチラシによると「西洋絵画と大和絵を融合した清澄典雅な作品を次々と発表し」云々とある。
会場には、作品が制作年代順に並んでいる。留学時代の模写も展示してある。

いつの頃からか、展示会を見るときには、順路に従って一巡してから、入り口付近に引き返してもう一度見直すことにしている。順路に逆らって移動するのは抵抗感がないでもないが、最初に一巡する時には説明書きを読むのに忙しくて、作品そのものの鑑賞が十分にできていないような気がするからである。
今回もそうした。
すると、一巡目には気づかなかったのだが、ヨーロッパ留学時の模写を挟んで、作風が明らかに変化しているようなのに気づいた。
留学以前の作品は、人物の表情が豊かで姿勢も様々、色使いも鮮やかである。
留学後は、人物の表情は無表情になり、姿勢はまっすぐ立ったり座ったりして顔を斜め45度に向けたものばかりになり、色使いはぐっと地味目になっている。
一言で言うと、留学後のほうが、より「日本画らしく」なっているような気がする。

言葉で説明するだけでは隔靴掻痒なので、会場でもらった「三重県立美術館ニュース HILL WIND No.22」よりスキャナで入力。著作権法で言うところの「批評目的の正当な範囲内」での引用のつもりです。

1.《寂光院》1902年。
2.《少女》1920年。留学前である。

1922年から1年間の留学を挟んで…

3.《吉法師・竹千代》1936年。
4.《忠度》1939年。
解像度は高くないし、限られた例だが、これだけでも言わんとするところは伝わらないだろうか。

日本画と西洋画は、一見、相容れぬものである。色使い一つにしても、絵の具を通してカンバスの素材の色が透けて見えるのが日本画で、カンバスの素地など見えぬほどに塗り込めるのが西洋画である。
異文化が遭遇したとき、両者が混交するのではなく、作者の拠って立つ立場を純化させる作用というものも、当然起こりうるのかも知れない。素人の思い違いかも知れないが。
無責任な素人の気軽さでさらに言ってしまえば、個人的には、留学前の若い頃の作品のほうが、インパクトとしては強いんじゃないかという気がする。留学後の作品は、安定感という意味では抜群なのだろうが、引きかえに何か個性のようなものを犠牲にしているような気がしないでもない。
画壇の評価がどうなのかは、わからない。
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