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阿満利麿『宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証』(ちくま学芸文庫)

宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 (ちくま学芸文庫)

宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 (ちくま学芸文庫)

鑑真 (岩波新書)』に、仏教の本家であるインドにおいては、出家者の僧団とは法律など世俗のルールから全く脱却した集団であり、日本ではそういった本来の意味での僧団というものは成立しなかった、というきわめて刺激的な記述がある。
それで、本書のことを思い出して、手にとってみた。
想像したものと少し違った。本書の主舞台は、明治維新後の近代日本である(サブタイトルに「近代日本」と書いてあるけど。装丁ではサブタイトルは目立たなかったのだ)。
明治維新後の日本において、伊藤博文、山県有朋、井上毅〔こわし〕といった権力者たちが、天皇を中心とした国家を造り上げるにあたり、宗教的権威と世俗の権力を一体化した「国家神道」なる世界に類を見ないイデオロギーを導入した過程が、つぶさに述べられる。天皇家の祖先を祭る宗廟の祭祀は、宗教ではない、という「詭弁」(と著者は書く)を弄して、仏教やキリスト教の信者にも神道儀礼を強要したというのである。近代国家の仲間入りを果たそうとして、憲法を制定し法治国家を名乗るに当たっては、「信教の自由」は避けて通ることができぬがゆえの「詭弁」ないしは「強弁」であった。
その影響は今日まで残っていて、例えば神道方式の地鎮祭に地方自治体が公費を充てて実施することの可否が裁判で争われたりしている。また「あとがき」では、小泉元首相が自身の靖国神社参拝に違憲判決が出たのに対し「分からぬ」を連発したことを、著者は「こと靖国神社に関する認識の程度は、あまりにお粗末すぎる」(p249)と批判している。
話を先に進めすぎてしまったので元に戻す。本書第四章は、「幸徳事件」(大逆事件)に多くのページを割いている。社会主義者、無政府主義者を狙い撃ちにしたでっちあげ冤罪事件であるが、この事件には仏教者のかかわりも目立つという。本書P225〜226によると、死刑となった中島愚童は曹洞宗の住職、無期懲役となり獄中で自殺した高木顕明は真宗大谷派の住職、同じく無期懲役の峯尾節堂は臨済宗の僧侶だったという。
情けないことに、事件を受けて、曹洞宗、真宗大谷派、臨済宗妙心寺派は、それぞれ中島、高木、峯尾を即座に破門してしまい、ひたすら当局に恭順の態度を示す。彼らの名誉が回復されるのは、敗戦のはるか後の'90年代になってだった。
ちょうど真宗大谷派名古屋別院の「平和展」でこんな企画が…18日から24日までか。これは行かなきゃ!
http://www.ohigashi.net/gyouji_heiwaten10.htm

 今回の「平和展」は、「弾圧 −支配される人びと」のテーマで100年前の日本を見つめる構成。1910(明治41)年。この年、後の日本を方向づける大きな二つの出来事が、国内と海外で起こっていた。
 一つは「大逆事件」。天皇・皇太子暗殺謀議事件が国家により捏造され、社会主義者が弾圧された。
 もう一つは、「韓国併合」。日本の朝鮮殖民地化により、朝鮮人蔑視がより強固になり、さらには労働力・資源・市場の強奪が可能となっていった。
 このような弾圧、支配のシステムは大きく発展し、昭和の侵略戦争の時代に天皇制ファシズムとして完成したのである。

鑑真 (岩波新書)

鑑真 (岩波新書)