🍉しいたげられたしいたけ

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知性の威力と無力について、またはルンペルシュティルツキン現象について

はてなホッテントリで知った、原発報道のよいまとめ記事。
Gazing at the Celestial Blue 2011年3月11日以降、原子力発電所関連「実は…」報道あれこれ
ブクマコメントにも書いたけど、こういう状態を一言で表す言葉がある。「ハインリッヒの法則」である。
しかしそういう言葉を使ってしまうことによって、事態の深刻さが何かしら月並みなものとすり替えられてしまうような不安もまた感じる。
こういう感覚に襲われることが、なんだか最近とみに多いような気がする。
やはり、はてなで読んだ、これも力作のエントリー。
「弱者を勝手に代弁する人々」には適切な呼称がある - 法華狼の日記
スピヴァクの「サバルタン」という用語は、以前どっかで読んで知っていたような気がする。間違いかもしれないけど本橋哲也「ポストコロニアリズム (岩波新書)」じゃなかったかしらん。確認しなきゃと思ったが、どこにしまったんだったっけ?
あと、自分のエントリーで悪いけど5/3付の記事に書いた「NIMBY」とかね。
実はこういった言語化作用そのものについても、さらに言葉がある。「ルンペルシュティルツキン現象」だ。ウィキペの「ルンペルシュティルツヒェン」内にリンクだけは作ってあるが、リンク先がまだない。はなはだ不十分ながら、「マーフィーの法則―現代アメリカの知性」のP112より。

10.悪魔の名付け親になったとしても、悪魔を滅ぼせるとは思うな。
   キャッチフレーズ:「ランペルスティルツキン」*7

*7というのは脚注で下記の通り。ウィキペの内容と比べるとだいぶ簡略だが矛盾はない。

*7 ランペルスティルツキン:ドイツ民話に出てくる怒りっぽいドワーフ。お妃と、3日のうちに彼の名前をあてられなかったら赤ん坊をもらう約束をするが、名前をあてられ怒りのあまり死んでしまう。

あるいは『吾輩は猫である』に出てくる、主人公の名無し猫が、雑煮の餅を食べようとして歯から取れなくなり暴れるシーンを想起する。猫は苦悶の中で「真理」を4つまで発見するが、結局自力で餅を取ることができなかった。
けだし知性の威力と無力というものであろう。