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中国義士伝 (中公新書)

中国義士伝 (中公新書)

冨谷至『中国義士伝』(中公新書)
私の中国史好きは、お定まりの三国志史記の時代のものから入って(鄭問東周英雄伝』はすごかった)、陳舜臣『中国の歴史』で通史を学び(学者ではなく作家が書いた本だから読みやすかったのだ)、ピンポイントで新書や文庫を楽しむ(直前に書いたことの訂正!中国史の専門家が一般向けに書いた本には、読みやすい本が山ほどある)というふうに推移している。ま、要するに素人ファンなんだが。
本書は、前漢の蘇武、唐の顔真卿南宋文天祥を扱っている(IME2010すげっ!全部変換できた!)。新書一冊で取り上げられる人数が三人というのは珍しい。一冊で一人とか、あるいはもっと大勢をいっぺんに扱うとか、どっちかのパターンが多いんじゃないかな。
しかし分量的には、このくらいがちょうどいいような気がする。蘇武の場合は漢王朝がその建国直後から匈奴に悩まされた時点から筆を起こし、武帝の時代にいたって衛青・霍去病の両将軍を起用しようやく恥を雪いだあたりからかなり詳しく記述してくれている。顔真卿の場合は唐の太宗、武則天の治世もある程度の分量を割いている。玄宗が一般に言われているのと違って、その治世の前半においても決して「名君」ではなかったことを、これでもかとばかり論じているのが印象的。文天祥の記述は「澶淵〔せんえん〕の盟」と呼ばれる(遼に対する宋の側から見た)屈辱外交あたりがスタートだ。つまり、おおざっぱにいってそれぞれ2世紀くらいの幅で背景となる歴史を説明してくれているので、中国史に詳しくない人でも理解が進むと思うし、ある程度予備知識のある人なら復習になるだろう。と言いつつ私も実は、蘇武と顔真卿の後半生は、ろくに知らなかった!
本書を貫くテーマは「ノブレス・オブリージュ」ということだと思う。この単語が本書中に登場するのはようやく「あとがき」になってからだが、ページを開けばすぐにこの単語が頭の中にガンガン思い浮かぶ。それは多分編集者も同じだったのだろう、編集者の手になると思われる表紙カバー折り返しの文章に「己の生きた時代の価値観に殉じ、ノブレス・オブリージュを体現した男たちの生き様とは」という一節がある。本書の主人公たちに対して、時の国家あるいは権力者たちがはたして十分に報いていたと言えるかどうかは全く別問題として。
でも考えてみれば、プライドに報いるものとして富貴の類はまるで不十分なもののような気がする。そりゃ老後の保障は欲しいけど、ぜいたくしたっていかほどのことがあろうか。してみるとノブレス・オブリージュは、報酬としての富貴を辞退しつつその責務のみを果たすことによっても体現できるのではなかろうか。
つまり我々にも、ノブレス・オブリージュは気の持ちようによって実現可能なのである(^▽^;