しいたげられたしいたけ

弊ブログでいう「知的」云々は「体を動かさない」程の意味で「知能の優劣」のような含意は一切ない

北大路魯山人展@パラミタミュージアムというのを観てきた

今期は仕事がちょっと暇である。2〜3年前の自分のブログを読み返すと「休みがない!」とか無駄に忙しがっているエントリーが多いが、忙しがってる割には全然儲かっていなかった。そのバカバカしさに気づいて(気づいてたんだけどね)、仕事を抑え目にしたら、一気に暇になってしまった!それでも収入はたいして変わっていないというのだから、ヘンな話である。
で、また電車に乗って近場の美術館めぐりをした。今回は三重県近鉄湯の山線の沿線にあるパラミタミュージアムというところに行った。ここはまだ行ったことがなかった。
愛知県は東に行くと山になる。実家のある岐阜県は北が山だ。三重県は西に行くと山になるのだな。いや、三重県には昔、10年近く住んでいたから知ってたけど。あと南に行っても山になる。
パラミタミュージアムは2階建てで展示室が6室あるが、5室が常設展で、そのうち3室までを池田満寿夫の「般若心経シリーズ」というのが占めている。池田満寿夫は版画の人というイメージが強いが、晩年は陶芸に注力したそうで、般若心経の一文字一文字あるいは何文字かを陶片に刻み込んだ作品が繰り返し繰り返し何パターンも展示されている。書もある。般若心経全文ばかり三幅も。
この広く名を知られた人気芸術家を、一つのテーマに駆り立てたものは何だろう?そもそも芸術家というのは一つのテーマに没頭するものだろうけど。
第3室には、素焼きの陶器に仏頭をあしらった「仏塔」が数多く並んでいた。「これが美しいのだろうか?」という、美術館巡りをするときいつも自然と頭に浮かぶ疑問とともに、いくつめかの作品の前に立った時、突然あるイメージが現前した。
「砂漠」。
もしくは「廃墟」。現パキスタンにあるガンダーラの。あるいはアフガニスタンバーミヤンの。
ひょっとしたら池田満寿夫は、仏教に興味を持った人間なら誰もが見ようとする見果てぬ夢=古代インドのオリジナルのブッダの姿を、芸術家として追及しようとしたのではなかったのか?
間違っているかも知れないが。
すみません。またしても仏教臭くなってしまいました。私が悪いんじゃないんです、パラミタミュージアムがいけないんです(他人のせいにすんな>自分
2Fに上がって第4室は萬古焼〔ばんこやき〕。三重県の伝統的な焼き物だが、まとまって観たことはあんまりなかったかも知れない。
そして第5室一室だけが、企画展の北大路魯山人展。魯山人は、篆刻から出発し書・画・陶芸でほとんど師に事えることなく独学で大家をなしたという超人である。なんでそんなことができるんだ?
とくに陶芸に関しては「器は料理の着物である」との名言とともに、星岡茶寮という会員制の高級料亭を主催したことでも知られる。マンガ『美味しんぼ海原雄山のモデルと言ったほうが早いか。
で、今回の展示では、いくつかの陶器が、焼き魚や刺身や和菓子などのロウ製の食品サンプルを盛った姿で展示されていた。
面白いアイデアとは思うのだが…
いいのか、これ?
なぜ「いいのか?」と疑問に感じたのかを説明するのは難しい。気にしなきゃそれまでなんだけど、あえて言葉にしてみる。
ロウ製の食品サンプルは、世界に誇る日本の芸術だと言われることがある。
だったら北大路魯山人も芸術、食品サンプルも芸術じゃないか?
しかし、では食品サンプルが芸術として評価されるかというと、けっしてそうとは言えないと思う。
ぶっちゃけ値段の話をしてしまおう。実はこの美術館には1Fに売店があって、珍しいことに魯山人本人の作品がいくつか商品として売られていたのだ。
ついていた値札が6,000,000円!
食品サンプルは、芸術だと言われながら、そんな値札がつくことは絶対にあるまい。ついたら飲食店の店頭に飾れないじゃないか!
私は美術館巡りをしているクセに、魯山人にしろ池田満寿夫にしろ芸術家として高く評価されている人々の作品と、食品サンプル(これもやはり誰かの作品)の差が、実はわからない。わからないということを、なんとなく認めたくないし、認めたら認めたで開き直りにしかならなさそうだ。
それが違和感として現れたんじゃないかな。繰り返すけど、気にしなきゃそれまでなんだが。