🍉しいたげられたしいたけ

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今年も「愛知憲法会議 市民のつどい」@名古屋市公会堂に行ってきた

今年の講演は、伊藤塾塾長で弁護士の伊藤真という人。伊藤塾というのは弁護士を養成する予備校みたいなところだそうで、紹介文には「司法試験受験界のカリスマ講師」と書いてあった。どうでもいいけど「カリスマ」って言葉はインフレ気味なんでないか?
4月26日に発表された自民党改憲案に対する批判。一番問題があるのは、現行99条では天皇・大臣・議員・裁判官・公務員に負わせている「憲法を尊重し擁護する義務」を、一般国民にまで広げ負わせようとしていることだそうだ。
法律と憲法と違いは、法律は国民の自由を制限して、社会の秩序を維持するためのもの、すなわち国民に対する歯止めであるのに対し、憲法は、国家権力を制限して、国民の人権を保障するためのもの、すなわち国家に対する歯止めだという。
もともと立憲主義は絶対王制に対抗して生まれたもので、王権はなにものにも制限されないとする絶対王制に対し、国王といえども憲法に従わなければならないとするのが立憲主義であった。
自民党の誤謬は、あまりにも明白だよね。さらに、やはり改憲案に盛り込まれている「非常事態条項」と組み合わせると、政府がなんでもできてしまう権力者に優しい国家が出来上がる。いやネットには「国民に憲法順守の義務を負わせている憲法は世界にいくらでもある」みたいな擁護論はあるけど、もしそう改憲されたら我々は暮らしやすくなるか?
正直私は講師の伊藤氏のことをよく知らなかったのだが、「多様な価値観を持つ人間の多様な活動」を保障する拠りどころを日本国憲法に求めるという立場のようで、だったらシンパシーを感じる。
逆に言えば人間には同時に「人間の多様性」を目の敵にし他人を意のままにコントロールしたがる本能みたいなものもあるようで、例えば珍走団は厳格かつ理不尽な身内のルールを作って構成員に押しつけたがるし、ハシズムなんかも私には「他人をコントロールしたい」という欲望のあられもない発露にしか見えない。
ただしこの場合、目の敵にされる多様性が常に他人のものであり自分のものではなく、コントロールの対象が常に他人であり自分がコントロールされるのではないことに注意。
このへんの対立軸を明確にできれば、若い層なんかにはアピールできるんじゃないかなと思うんだけど、どうだろう…と書きつつ、とっくに十分に明確じゃないかという自己突っ込みも思い浮かび、萎えるorz
後半は、ナターシャ・グジーという人のコンサート。ウクライナ出身の女性。日本語は堪能。「私の本名は実はナターリアで、ナターシャは愛称なんです。日本語でいうならナッチャンです。よろしければナッチャンと呼んでください」。バンドゥーラというウクライナの民族楽器の奏者。バンドゥーラには弦が63本もあり、重さは8kgとのこと。ウクライナ民謡の他に『秋桜〔コスモス〕』など日本の曲も歌ったが、『秋桜』のあの難しい前奏を、バンドゥーラは一本でこなしてしまう。さすが弦63本というのは伊達じゃない。でも調律が大変そう。
追記:
折しも「はてなホットエントリー」に、lessorさんのところの記事が…大阪維新の会は自民党よりさらに酷い!
大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - 泣きやむまで 泣くといい
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