しいたげられたしいたけ

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金重明『13歳の娘に語る ガロアの数学』(岩波書店)

13歳の娘に語る ガロアの数学

13歳の娘に語る ガロアの数学

以前に小島寛之『天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)』のマイ書評を書いた。以下、『天才ガロアの発想力』を「小島本」、『13歳の娘に語る ガロアの数学』を「金本」と書く。奥付を見ると、小島本は2010年9月、金本は2011年7月初版。ほぼ同時期に執筆されていたのだろう。両書とも2次方程式・3次方程式を経てガロア理論の概略に迫るという筋立てである。また小島本の「あとがき」には「本書は、13歳だったころのぼくを想定読者に書きました。」(p234)とあり、「13歳」というところまで共通している。こういう偶然もあるもんだ(まあ「2次方程式を学校で習うのが13歳」という興醒めな説明もつけられるんだけどね^^;)。
しかし、同じ材料でも違う人が書くと全く別物になるもので、両書を読み比べることによって理解がぐんと進んだ気がした。
例えば小島本では「自己同型」という用語が多用されており、もちろん言葉の定義は書かれているんだけど門外漢にはとっつきにくい。一方で金本には「自己同型」という言葉は登場しない。じゃ、どうなっているかというと、金本では小島本の対応する部分を「置換」という言葉を使って説明している。つまり、小島本で「自己同型」という用語で説明されている部分は「置換」と読み替えたほうが、少なくともシロートには先に進みやすいことに気づく。「自己同型」と「置換」って全然違うじゃないか!?いいのだ!と、自己ボケ&ツッコミ。
それから、群の演習みたいな部分で、小島本では三角形や四角形を回転させたりひっくり返したりする実例を示しているが、金本ではそうした例は使用されていない。金本ではカッコを使った置換の記号を使用しているが(1と2を置換するのを(1 2)と書くというアレである)、小島本には出てこない。小島本の例のほうがとっつきやすいが、置換の記号もあってもいいかな?
肝心の「5次方程式には係数から解を求める公式が存在しない」という結論を導く部分では、その手がかりとなる「解の置換群の成す部分群」について、金本では3次〜5次方程式までを示しているが、小島本では3次方程式で打ち切っている(にもかかわらず、「5次方程式には解の公式が存在しない証明」の説明は、小島本のほうが丁寧だという印象を受けるのだが)。
つまり両方読めばいいのだ。
ただし、「5次方程式には解の公式が存在しない」理由をここに書くことはできない。もしそれを書こうとしたら、金本、小島本と同じかそれ以上の分量の文章を、自分で書かなければならないからだ。「それ以上の分量」と書いたのは、両書とも紙面の節約のため検証を読者に任せている部分があるから。さらに、門外漢であってもある程度「数学の考え方」というものに馴染む必要があり、そのための説明も必要になるだろう。より詳しくは「同値」(あるいは「必要十分」)というヤツを使って、問題の外見を一見似ても似つかない別物に変形するという作業を容赦なく行う。「背理法」など当たり前以前の道具だ(アレも「わかったつもり」になっていると、シロートがシロートに説明しなきゃならない状況になったりすると、思わぬ足をすくわれることがある)。さらに「体の拡大」なんてモノにも馴染んでおかなければならない(これは個人的にはあまり苦にならなかったが。以前「虚数は数か?」をテーマに扱った本に目を通したこともあるから。結論だけ書くと、虚数は数なんですよ)。
せめて喩えを使って、私がわかったつもりになったことを書くことにする。「すべての喩えは間違っている」と言うが、いたしかたない。
2次方程式には2つの、3次方程式には3つの、一般的にn次方程式にはn個の解がある。ガウスの「代数学の基本定理」というヤツだ。
ガロアの天才的な着想は、このn個の解を相互に入れ替えても、同じ方程式の解なのだから、何かある数学的な関係は崩れないのではないか、と考えたことである(もうちょっと具体的に書くと「体を拡大しない」ということだが、そこまでは足を踏み入れない)。
で、この「入れ替え」すなわち「置換」という作業は、「群」を構成するのだ。
ここでもう一つ出てくる重要な概念が「正規部分群」である。
この「正規部分群」が、いわばハシゴの横木のようなもので、4次以下の方程式であればこれを足掛かりに係数から解まで手が届く。
ところが5次方程式になると、突如このハシゴの横木が消えてなくなるのだ!係数から解に手が届かなくなるのだ!
「なんで?」って言われても困る。これは誰でも紙と鉛筆を用いて自分で検証できることだ。かなり煩雑な作業になるが、しかし可能である。
以上の喩えを読んで「あ、こいつわかってねーな」と思った人は、ぜひご指摘ください^^;
哲学者のショーペンハウエルは主著『意志と表象としての世界』に「私が本書で言いたかったことはたった一つである。しかしその一つのことを言うのにこれ以上短くすることはできなかった」という有名な序文を書いている。『意志と表象としての世界』は未読なので本当に同書が要約不可能なのかどうかはわからないが、昔からなんとなく「これ以上短くすることができない」(短くすると正確さが失われてしまう)ようなモノを、なんでもいいから知りたいと思ったものだ。
ガロアの証明は、まさしくそれに該当すると思う。その意味で両書は、私にとって最上級に満足度の高い読書体験を与えてくれた。感謝!
それにしても、ガロア、すごい!ガロア、すごい!ガロア、すごい!
百ぺんも千べんも繰り返したいが、もう一度、ガロア、すごい!!
だが数学の世界には、ガロア以上の業績がゴロゴロしてるんだよね。ワイルズによる「フェルマーの大定理」の証明は、さらにすごいというし、ラマヌジャン、グロタンディーク、ペレルマンといった大天才の名前は私の耳にも聞こえているが、彼らの業績がどんなものかは一片の知識も持ち合わせていない。