しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

蔵前仁一『沈没日記』(旅行人)

沈没日記

沈没日記

著者の造語「沈没」すなわち「旅行者が逗留先に長期駐在して動かなくなること」は、鴻上尚史の『スナフキンの手紙』で知った。タマキングこと宮田珠己を世に出したのも、著者が創業した(有)旅行人の役割が大きかったんじゃないかな。
なんとなく、バイタリティ溢れるコワモテの人物を想像していたのだが、初めて手にした著書『旅ときどき沈没』に掲載されていた自画像(イラストも描く人なのだ!)は、細身で丸メガネの人のよさそうな(or気の弱そうな…失礼!)アンチャン風で、しかも奥さんと常に一緒に旅する愛妻家(or恐妻家…失礼!)でもあるようで、意外に感じた記憶がある。ええい、百聞は一見にしかず!『旅ときどき沈没』からスキャンした画像を一点だけ。「ぎぇー」とおっしゃっているのが著者描くところの奥さんである。
なんでもっと怖そうな人物を想像していたんだろう…?昔読みふけったやはり世界旅行者の小田実のイメージがあったからかな?ハシダさんこと橋田信介というジャーナリストもいたな。
『旅ときどき沈没』が良かったのでもっと読みたいなと思いながら、なかなか手に取れなかった。積ん読状態の本がうず高く堆積してちっとも減らないからだ。私自身は出不精で旅というものに憧れながら一泊以上の旅行すらもう何年もしていない奴なのだが、旅行記を読むのは大好きなのだ。この著者の書くものは読みやすい文体で、しかも自筆のイラストが満載されているから、すらすらと読めてしまう。
ただし著者の芯の強さもあちこちからしっかりと感じられる。執筆時には紛争の硝煙がまだ消えきっていなかったカンボジアに臆せず足を踏み入れたり(p35〜)、日本のTVレポーターがしゃべる「日本人が失ったものがそこにある」とか「日本人が失ったキラキラした目をした子ども」とかいう紋切型の表現に対して「自分が失った何かを勝手に投影しているにすぎない」(p187)と突っ込みを入れたり。