しいたげられたしいたけ

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仏像彫刻 江場琳黌 江場琳觀展@名都美術館を観てくる

しばらく行楽とか縁がなかったけど、少し余裕ができたので、近場の名都美術館でやっていた「〈特別展〉仏像彫刻の美 江場琳黌 江場琳觀」というのを観てきた。

江場琳黌〔えば りんこう〕氏は「大仏師」という称号を持つ彫刻家で、琳觀〔りんかん〕氏はそのご子息である。木彫りによる仏像を制作しておられ、名古屋市郊外の長久手市在住だそうだ。

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展示品の多くは一木造りで、サイズはさして大きくない。罰当たりにも「フィギュア」という単語が頭をよぎる。もうちょっと大きいか。寄木造りの作品もいくつか。どこぞやの名刹の本尊として納められる予定という、大型の仏像の制作過程を示す展示物もあった。まず一木造りでひな形を作り、それを賽の目に刻んで拡大するのだそうだ。

ビデオも上映されていたが、頭部を胴体に嵌め込むとき、お釈迦様や阿弥陀様の頭を容赦なくしばいていた(^▽^;

それはともかく、新しいのは七難隠す、新作の仏像は白木の木目にせよ彩色や金箔押しにせよ、それは鮮やかなものだった。

仏像は百年の単位で拝まれるものだが、そういうものでも近年は中国などから安価な量産品が入ってくるため、国内の仏師はみな苦労しているとビデオでは言っていた。今流行りの3-Dプリンタを使えば、鑑真像でも阿修羅像でも過去の名作のコピーはいくらでも作れるだろうな。

そうした状況下でも、仏師たちは、日本の伝統を守り、また新たな伝統を生み出さんと、誇りを持って仕事をしているという。二十一世紀の現代も、江戸時代も明治時代も、それぞれの時代に仏師がいてそれぞれの立場で研鑽を重ねてきたであろうことを想像すると、感慨を覚えずにはいられない。今回の江場父子は木彫りの人だが、金銅仏の伝統を継承する人や乾漆造りの伝統を継承する人もいるのだろうか。

新しい伝統と言えば、展示品の中に「一葉観音」と題する葉っぱの上に乗った観音様の像があって、その観音様は明らかに女性のバストを持っていた。観音様は通常中性的な造形なんだけど、なんとなくそこに現代性を感じたぞ。それが「平成の伝統」として継承されるかどうかは知らない。

伝統的な仏像のスタイルは宗派ごとに決まっており、中部地方に多くうちの実家の宗派でもある真宗大谷派では、来迎印という印を結んだ阿弥陀如来の立像を本尊とする。そんなある意味見慣れた像も展示されていた。改めて拝観すると、あの何段もある高い台座には、どんな意味があるのだろう?しかし真宗では仏像を飾らずに、本尊は名号だけという寺院も少なくない。教義からすると、それでいいかな、そのほうがいいかな、という気もする。

しかし私が無著(アサンガ)、世親(ヴァスパンドゥ)という名を知りその思想に興味を抱いたのは、興福寺にある有名な像がきっかけであり、「入口」という意味ではその意義は決して小さくないとも思う。