🍉しいたげられたしいたけ

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「自分の色彩を持っている」ということ

人から頼まれて、ちょっとしたパソコン仕事をした。すでにできているコンテンツを、別のフォーマットにコピペするだけの、簡単なお仕事です。まあ仕事と言うよりお手伝いだな。

ただ方針が決まるまでが、ちょっとしんどかった。フォーマットを選択するだけなんだけどね、色調とか。方針が決まってしまえば、あとは手を動かすだけだから楽になったが。

素人がやると、とかく原色を使いがちになる。子どものオモチャみたいな、原色ばかりの組み合わせになってしまうのだ。

かと言って、中間色を使いこなすのは大変だ。色数が一気に爆発する。さらに中間色同士を組み合わせるとなると、その数は無限で手におえない。

で、思ったのだが、以前、アマチュアの美術展の招待状をもらって見に行った感想をボロクソに書いたことがある。要約すると「抽象画はわからん」ということだが。

しかし少し反省した。あそこに出展していた作家さんたちは、それぞれに「自分の色」を持っていた。それは素人目にもわかった。基調となる中間色の組み合わせが、一人ひとり違うのだ。

今回、久しぶりに、ジャンルは違うが、またほんの少しだが、クリエイティビティのかけらを含む仕事をやってみて、その理由がよくわかったような気がした。無量無数の中間色の組み合わせの中から、モノになる組み合わせをつかみ取るには、馬鹿にならぬエネルギーが必要なのだ。試行錯誤とか、経験とか、持って生まれたセンスとか…またそうやって獲得された組み合わせが、一人ひとり違うのは、これもまた当然のことだ。

私はそんな「自分の色」を持っていない。

あと1か月もすると、書店の店頭に年賀状ムックが並ぶ。あのムックの中には、デザイナーさんの個人名を表記したサンプル集のページが含まれるものがある。まあ無名の人がほとんどである。私が知らないだけかもだが。

しかし彼らもやはり、それぞれに「自分の色」を持っているのだなぁと感じる。興味が湧いたら立ち読みしてみてください。

アマチュアの美術家さんや無名のデザイナーさんでもそんなにすごいのであれば、一流の人になると、一体どんな仕事をしているのだろう?多分、ものすごいテクニックを独力で開発して駆使していることだろうと想像されるが、それが具体的にどんなものなのかは見当もつかない。