しいたげられたしいたけ

期間限定トップ「肌の色や出自や信仰の違う他人を、憎むように生まれついた人間などいない」ネルソン・マンデラ rt by バラク・オバマ

豊川稲荷に参拝する

初詣ではなく年末に参詣を済まそうというのは以前から決めていたことで、別に安倍首相に影響されたのではない。

念のため書いておくと、私はあの靖国参拝は当然不支持である。海外から何か言われたからというのではなく、靖国神社が先の大戦の犠牲者を悼む施設としては不適切だと考えるからである。

戦前の軍隊組織というのは、暴力を秩序維持の手段として認めていたなど、今の言葉で言うブラックどころではない不条理極まりないところであり、その結果上官が部下に不正を強いたり自分の罪を押し付けたりと、とんでもない組織腐敗が横行していた。

一冊だけ本を挙げると結城昌治の『軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)』は、フィクションの形式を採っているが実話に取材した連作だ。各話の扉には「敵前逃亡」「従軍免脱」「司令官逃亡」などの陸軍刑法の条文が掲げられ、登場人物たちはそれらの条文が示す結末に、否応のない力で(つまりクソみてぇな上官と、いくつかの不運な偶然の積み重なりによって)引きずり込まれてゆく。そして心ならずも軍法を犯した形になる彼らが、靖国に合祀されることは、ない。

もちろん誰も時代的な制約から逃れられるものではないが、だからといって「遊就館」に代表されるような靖国神社の過去に対する無反省を見逃すことはできない。

しょっぱなから話がずれた。そういうことを書きたかったのではない。豊川稲荷は愛知県内では五指に入る初詣客を集めるところで、三が日に参拝すると拝殿にたどり着くまでに何十分、下手すると一時間以上かかったりする。暮のうちに参拝しておけば、混雑することもないし、飾り付けとか露店設営とか正月準備もだいたい終わっているから初詣の雰囲気も味わえて、大変お得。

何で豊川稲荷かというと、先方はそう思っていないだろうが、私からすると若干恩に着る事情があるのだ。

田舎の実家の庭に、昔、小さな祠があった。神社の本殿をミニチュアにしたようなやつ。

祠そのものは亡父が撤去したのかいつの間にかなくなってしまっていたが、本尊と思しき一対の焼き物の狛狐が残っていて、老母が気味悪がって処分できずいつまでも残っていた。

何かの機会に豊川稲荷参道の土産物屋を素見していたときに、それとほどんど同じ新品が売られているのを見つけたのだ!実家にあるのは相当古いもののはずだが、デザインはあんまり変わっていない。要はありふれた大量生産品の土産物だったのだ。

それで、処分方法をお店の人に尋ねたり寺務所に質問したりして、結局、奥の院にお札納め所というところがあるので、そこへ持って行けばいいとわかった。

実はお札納め所には「焼き物、ガラス、人形厳禁」という張り紙が貼ってあったが、そばのお札売り場にいた寺の人に尋ねたところ「まあ置いていけばいいですよ」という回答をもらった。

後日、母を伴って参詣に訪れた。母はここぞとばかりキツネ以外にもいっぱい縁起物を持って来ていた。それらは全部お札納め所に置いて帰った。もう2~3年ほども前の話である。

長年の懸案がきれいに解決することは案外少なく、忘れ去られたりグダグダになってしまうことの方が多いので、こうやって何かがきれいに片付いてくれるのは実にありがたいことだ。少なくとも私はそう感じる。

今回は、今年の5月に拝観した長谷寺でもらった五色のミサンガみたいな腕輪を持参した。寺社のものならどこのでも引き取ってくれるみたいだったし(参拝客が構わずに置いていっているだけかも知れないけど)、本来カエサルのものはカエサルに、長谷寺のものは長谷寺に返すべきだろうが奈良はちょっと遠い。もっと近場の神社で左義長どんど焼きの類をやるところはいくらでもあるだろうけど、募集期間が短いからまあ忘れるのだ。

いくばくかのお賽銭とともに、置いていく。結局また新たな恩を着ることになったわけだ(^▽^;

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)