🍉しいたげられたしいたけ

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短いマイ書評を2件

たまたま2冊とも幻冬舎文庫だが、それ以外に特に共通点はない。同時期に前後して手に取っただけだ。

わたしの旅に何をする。 (幻冬舎文庫)

わたしの旅に何をする。 (幻冬舎文庫)

著者のタマキングこと宮田珠己は旅好きが高じて脱サラし紀行作家になった人。「見え透いた空威張り」→「自虐」というパターンのギャグの連射が心地よくて(本書からではないが「私はサラリーマンを続けていれば必ず出世すると言われた人物だ」→「街の占い師にだったかも知れない」みたいな調子)好きな作家の一人である。過去ブログを検索すると「なかなか文庫本が出ない」とぼやいていたが、気がつくとけっこう文庫化されていた。
本書はタイトルの語感がヘンで(褒めてます)気になっていた一冊。読んでみると、海外で次々と遭遇するトラブルを2〜3ページにまとめた連作エッセイだった。思えば旅にトラブルはつきものだが、自分が当事者になると、旅先の心細さによって不安が倍増し、旅全体が台無しにされたと感じるものだ。しかしこれが他人事となると、これほどおかしいことはないわけで、もちろんトラブルを笑い話に昇華させる力量と「あえて笑われてやる」という度量が作者に備わっているからできることだが、読み終えると「旅はトラブルを含めて楽しむもの」という人生の要諦のひとつを授けられたような気になる。
ただしタイトルについては、作者が「あとがき」で「いつも何かに巻き込まれて思い通りにいかないその納得いかなさを言葉にしたつもりだ」と明快に解説しており、さらにその右代表として本書の前半のほうに登場する極めつけのエピソードに言及している。確かにあのエピソードはインパクトが強烈だった。
だがこうしてきちんと説明されることにより、未読の時点の「なんとなくヘン」という趣が失われてしまうのは、実に味気ないことである。読者はワガママなのだ!
清須会議 (幻冬舎文庫)

清須会議 (幻冬舎文庫)

10月23日のエントリーに関連して、井上ひさしだけじゃなく三谷幸喜の著作も読んでみたくなった。考えてみれば三谷脚本のドラマはいくつか観たことがあるが、三谷の著書は(朝日夕刊連載『ありふれた生活』を別とすれば)まだ一冊も読んだことがなかった。
タイトルから推察される通り、主人公は柴田勝家と羽柴秀吉。そういえば柴田勝家を主人公とした小説も、ありそうだけど読んだことないなぁ。あと信長の妹お市の人物造形が興味深かった。私はなんとなくお人形さんのように無力な薄幸の戦国美女というイメージを抱いていたが、三谷の手にかかると強い意志とバイタリティを持ったキャラクターが浮かび上がる。あと信長長男信忠の配偶者松姫が、セリフは少ないがギクリとするような存在感を見せる。三谷のような人の頭の中では、歴史上の人物はそれぞれ独自の性格と意思と目的を与えられて生き生きと蘇るのだろう。
褒めるだけなのも悔しいのでちょっとくさすと、作中人物の前田利家に「人間は複雑なもので、柴田勝家にも頑固一徹だけではない戦国を生き抜く権謀術数は備わっているし、逆に策士の秀吉も信長に対する忠誠心はまっすぐで偽りのないものだったろう」という意味のセリフをしゃべらせているが、これは言葉だけのフォローであって短い作中ではさすがにそうした人間の多面性までは描き切れなかったのではないか?
ちょっと脱線するけど、司馬遼太郎『国盗り物語』斉藤道三編には、赤兵衛と杉丸という架空の人物が登場する。前者が根性の悪い奴で後者が単純で純心な人物である。他にも『竜馬がゆく』の寝待ノ藤兵衛など司馬の初期作品にはこうした架空の人物がときどき出てくるが、みな十分に活躍しているとは言えないのではないか? 私だったら物語の後半で赤兵衛と杉丸のキャラを入れ替えて、前者に善玉後者に悪玉の役割をちょっと担わせてみるんだけどな、などと妄想したことがあった(じゃ書けよ>自分
たまたま同時期に前後して手に取っただけで共通点はないと書いたけど、もう一つ共通点があった! 誰よりも作者が一番楽しんでるんだぞきっと。そしてそれは楽しむだけの力があるからできることだ。
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『『夜は超能力!(その3)』
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