しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることにより人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗した

謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー(中国編その3)

 連番「その10」、通算第11回目です。

01882/01882 CXX02375 わっと 中国のヒーローの条件3・妻子を不幸にする
( 3) 98/04/07 02:33

 あらずもがなの注釈を付け加えると、儒教の思想的支配下にある中国に
おいて「殺人」やときには「食人」すら許されることがあっても、「親不
孝」は許されないのだそうです。例えば『水滸伝』の登場人物は、みな平
気で人を殺すし時には人肉を食います。しかし一人残らず親孝行です。親
孝行でなくなったとたん、彼らは読者である中国大衆の感情移入の対象と
はならなくなるのでしょうか。
 そのワリを食うのが、登場人物の妻子のようです。中国人の食の広範さ
を表す言葉に「4本足は机以外、2本足は親以外は何でも食う」というの
がありますが、逆に言えば「親以外の2本足」である妻や子供は、最悪の
場合食われてしまう可能性もある、ということでしょうか…(^^;

( 周 )文王・姫昌  …殷の暴君・紂王(ちゅうおう)は、姫昌の長男伯邑考
           (はくゆうこう)を烹(に)殺しそのスープを幽閉中の
           姫昌に飲ませたと言います。
(春秋)斉の桓公  …桓公の没後父の築いた覇権を継承せんと五人の公
           子たちは徒党を組んで争い、『史記』によれば
           「桓公の尸(しかばね)、牀上に在ること六七日、
           尸蟲(しちゅう)、戸より出でたり。」という惨状
           を呈します。
(春秋)晋の文公  …亡命先の斉を脱出するとき妻の姜氏(桓公の娘)を
           置き去りにしています。
(春秋)孔子    …ちょっと苦しいけど「弟子」の顔回、子路は孔子
           に先立って死んでいます。
(戦国)魏の信陵君 …ん~、さらに苦しいがむりやりこじつけると、
           兄・魏王の愛妾・如姫(じょき)に、かつて与えた
           恩にことよせて魏王の持つ兵権を盗むという罪を
           犯させました。
( 秦 )始皇帝    …始皇帝の没後、太子・扶蘇(ふそ)は弟・胡亥(こが
           い・二世皇帝)と丞相・趙高の陰謀によって自殺
           し、胡亥もまた趙高によって自殺させられまし
           た。
( 漢 )高祖・劉邦   …高祖の没後、正妻・呂后と晩年の愛妾・戚夫人(せ
           きふじん)の争いは、敗れた側に文章にするのもた
           めらわれる恐るべき運命をもたらしたのみなら
           ず、勝った方をも滅亡の淵へと導きます。
(三国)劉備    …正夫人を持ったのは2度。最初の夫人とは戦乱の
           中で死に別れ、呉主孫権の妹である後の夫人は、
           蜀と呉との関係悪化のため実家に連れ戻され生き            別れとなります。
( 唐 )三蔵法師玄奘 …お坊さんには妻も子もいないのでパス(^^;
( 宋 )呼保義宋江  …正妻ではないが情婦・閻婆惜(えんばしゃく)を心な
           らずもおのが手にかけています。
( 明 )太祖・朱元璋 …長男の皇太子・標は太祖に先立ち、太祖没後即位
           した皇太孫・建文帝は叔父の燕王(後の永楽帝)に
           攻められ(靖難の帥)、燃え上がる王宮に姿を消し
           ました。その行方は今日に至るまでナゾとされて
           います。
(近代)毛沢東   …結婚は3度。最初の妻・楊開慧は内戦中国民党に
           処刑され、2人目の妻・賀子珍はモスクワの精神
           病院に収容されたりして生き別れ、最後の妻・江
           青は毛沢東の没後逮捕され死刑判決を受けていま
           す。

98/04/06(月) わっと(CXX02375)

中国編では時代順に紹介しているので順番が前後しますが、玄奘に関して一言だけ追加したく。史実の玄奘はもちろん独身ですが、『西遊記』には、子母河の水を飲んで猪八戒ともども男なのに妊娠してしまい、落胎泉の水を飲んで強制流産させるというとんでもねーエピソードがあります。

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春秋時代に話を戻します。引用部で述べた通り、桓公が後継者を定めず没したため「争族」が発生し、斉は急速に衰え覇権を失います。入れ替わりに覇者となったのが、現在の山西省あたりにあった晋の君主・文公でした。

 文公の晋も、長く内紛状態にありました。文公は難を逃れるため実に十九年にわたる亡命生活を送り、諸国を転々としました。一時は零落しきって通りすがりの農夫に食を乞うたところ、農夫は土くれを差し出したと言います。農夫にまで馬鹿にされたんですね。文公が激怒して農夫に仕置きをしようとすると、付き従っていた賢臣として名高い孤偃〔こえん〕が、「土を得る、すなわちこれは土地を得るという吉兆です、謹んでお受けください」となだめたと言います。他人の領地で領民に危害を加えたら、自分たち自身の身が危うくなったことでしょう。

孤偃は文公の父の庶弟、すなわち叔父にあたります。文公が心折れそうになり「こんなに苦労してもし晋の主君になれなかったら、叔父上の肉を食らいますよ」と毒を吐いたこともあると言います。孤偃は「その望みが叶わなかったら私は野でも山でもどこでも死ぬ覚悟でいますから、肉など腐って食べられないでしょう」と返したと言います。

やがて晋の君主の座にあった恵公が隣国の秦といさかいを起こします。戦国時代の秦は一強多弱の一強ですが、春秋期には他国と同格の一諸侯にすぎませんでした。しかし当時の秦の主君は自らも「春秋五覇」の一人に数えられる英主・穆公〔ぼくこう〕で、かなりドラマチックな逆転劇を演じて晋軍を打ち破ります。そして文公は、穆公の支援を受け、六十二歳という当時としては驚くべき高齢にして、ようやく待望の国主の座を回復するのです。

 文公というのは諡号、すなわち死後に贈られた号であり、本名は姓を姫、名を重耳と言います。宮城谷昌光氏の初期の傑作に『重耳』全三巻があります。文公の祖父・武公の代から筆を起こし、斉の桓公秦の穆公ら同時代のオールスターが次々登場するエンターテイメント作品です。『史記』の知識が若干ある読者は「あのエピソードをこう描くか!」という楽しみ方もできます。調子に乗って余計なことを書くと、最初の方にある文公の父・献公が祖父・武公の愛人と内通し、それが露見して無言の武公からしたたかに打擲を食らうシーンは、三島由紀夫『春の雪』のパクリですよねw

重耳(上) (講談社文庫)

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