しいたげられたしいたけ

弊ブログでいう「知的」云々は「体を動かさない」程の意味で「知能の優劣」のような含意は一切ない

宮崎市定なんて大したことない(謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー・中国編その5に対する追記)

タイトルはもちろん、昨日のこの大人気エントリーにあやかったものです。こういうことを書いておかないと、ネットの時間の流れは速いので後で何のことかわからなくなってしまうもので。ただしターゲットが中国史セクターとネットでは極小ですが。

potatostudio.hatenablog.com

この手のタイトルには賛否あります。私は評価する側です。理由はいくつかあって、一つは「凄いものを凄いと認識するには、認識する側にも力量が必要」ということを踏まえて、倒錯していますが卑下になっていると感じるからです。もう一つは、元ネタ「サッカー選手なんて大したことない まとめ - NAVER まとめ」を読むと強く感じるのですが「世界の一流サッカー選手には、こんな凄い人がゴロゴロいるんだぞ!」という自慢にもなっているからです。

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前回のエントリーがちょっと尻切れトンボ気味なので、補いたいと思います。

 ただし『史記を語る (岩波文庫)』に出てくる信陵君の物語の分析は、中国の伝統的叙述形式であり日本の我々にもなじみの深い起・承・転・結に振り分けるというもので、まあ大したことはありません。以下は要約し短くした記述です。

起...信陵君が兄の魏王の安釐王〔あんきおう〕と一緒にいるとき、北隣の趙国が兵を動かしたという急報が届けられた。食客三千人を養い独自の情報網を持つ信陵君は、平然として「趙王は狩りをしているだけ」と語った。その判断は正しかった。

承…信陵君は八方から能力のある人間を食客として招いていた。賢者として名高い元門番の侯贏〔こうえい〕と、その友人の肉屋で怪力の持ち主の朱亥〔しゅがい〕を招こうとしたときは、彼らからさんざん失礼な仕打ちをされたが、それを忍んだことにより、返って信陵君の名声は高まった。

転…長平の戦いで趙に大勝した秦軍が、勢いに乗って趙の首都邯鄲を包囲した。趙王から救援依頼を受けた魏王は、将軍の晋鄙〔しんぴ〕に十万の軍を授けて救援に赴かせたが、なぜか晋鄙は兵を動かさない。たまりかねた信陵君が、自らの食客だけでも率いて邯鄲へと赴こうとしたところ、侯贏は魏の正規軍の統帥権を強奪する策略を授ける。

国軍を動かすのは古代においても大事である。兵権は割符になっていて、一つを魏王が、一つを将軍が握っている。その両方が揃わないと正規軍は動かせない。魏王の愛妃・如姫〔じょき〕はかつて、殺された父の仇を信陵君に討ってもらったことがあるため、信陵君の言うことなら何でも聞く。そこで如姫に命じて、魏王の寝室から割符を盗み出させる。

結…割符を手にした信陵君は、前線の晋鄙将軍と面会し、自分に統帥権を譲るよう要求するが、晋鄙は従わない。信陵君はやむなく怪力の朱亥に晋鄙を撲殺させ、全軍の統帥権を手に入れる。そして「これは決死の戦だ。父子ともに軍にある者は父が帰れ、兄弟ともに軍にある者は兄が帰れ、一人っ子は本人が帰れ、後に残った者は生きて帰れると思うな」と命じ、残った八万の兵を率いて秦の包囲を打ち破る。その頃、魏の都では、侯贏が全ての責任を負って自刎する…

ということで、これらが事実を反映していたとしても、中国社会で紀元前から行われていた口伝あるいは舞台による脚色を経たものであろう、という推測を述べるわけですが、素人にもわかりやすすぎて、大したことはないですよね。

前回のエントリーに書いた通り、宮崎市定は中国史の大権威ですが、一般向けの入門書やエッセイもたくさん書いています。中公文庫の『大唐帝国』や『世界の歴史(6)宋と元』は、宮崎の手になるものです。 

大唐帝国―中国の中世 (中公文庫)

大唐帝国―中国の中世 (中公文庫)

 

 

世界の歴史 (6) 宋と元 (中公文庫)

世界の歴史 (6) 宋と元 (中公文庫)

 

特に後者の、北宋王安石による「新法」と呼ばれる政治改革 に関する説明は詳細で、王安石の新法は宮崎の主要な研究テーマの一つでもあるらしく「宮崎は王安石と友達づき合いしてるんじゃないか?」と言われるほど詳しかったそうですが、友達なら詳しくて当たり前なので大したことないです(ちょっと苦しいかな?)。

この両書は該当しませんが、一般向けの書籍でも、後ろの方に短いがやや専門性の高い論文が同時収録されているものが何冊かあります。専門家がどういうことをやっているか、一般の読者の目にも触れる機会を作りたいという意図によるものと想像します。私なんぞでは歯が立ちません(ジャンルは全然違いますが、NTT出版から出ているホーキングのシリーズ『時間順序保護仮説』、『宇宙における生命』、『創造の種』も、一般向けの三編とともに必ず専門的な論文一編を収録しています。専門的な方は、読めたもんじゃないです)。

 あとぜひ紹介しておきたいのが、エッセイ集『中国に学ぶ』に収録されている一文です。『中国に学ぶ』は、本人によると「雑文集」とのことで、専門の中国史のみならず、学生時代の回想、欧米旅行記、時事ネタ など幅広い文章を収録しています。

中国に学ぶ (中公文庫)

中国に学ぶ (中公文庫)

 

 本書に「独創的なシナ学者内藤湖南博士」という一文が収録されています。往年の大碩学にして宮崎の師にあたる内藤湖南の回想です。その中に、内藤が、江戸期の在野の天才学者・富永仲基を高く評価し、彼の発明した「加上説」という武器を中国古代史の研究にも応用して成功したことが述べられています(P286~)

加上説というのは、後から出てきた宗派・学派ほど、より古くより強大なものを所依存とするという学説です。仏教に関して、私が説明しやすいような大ざっぱな形で説明します。正確なところは上掲書の当該ページをぜひご参照願います。

もっとも古い形を残しているといわれる『スッタニーパータ』(和訳『ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)』)や『ダンマパダ』(和訳『法句経』、『ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)』には、ブッダ本人とサーリプッタ(シャーリプトラ=舎利弗)ら仏弟子くらいしか出て来ません。

それが次の代の般若経典になると、仏と人間の中間形態として菩薩が出て来ます。般若心経はもちろん般若経典の一つですが「カンジーザイボーサ、ギョージンハンニャーハーラ…」と観自在菩薩(観世音菩薩)が登場しますよね。

さらに次の代の浄土経典では、本尊として阿弥陀如来というブッダ以外の如来が登場し、観世音菩薩は勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍の一人になってしまいます。

さらに次の密教では、本尊として大日如来が登場し、阿弥陀如来大日如来を囲む四方仏の一人となります。そして壮麗な「曼荼羅」が作られます。

さらに後から登場した禅宗では、「ややこしい」と判断したのか、釈迦牟尼仏以外の諸仏は一掃されてしまうのです…

これを古代中国の諸子百家に当てはめると、孔子周王朝始祖の周公を尊敬しましたが、孔子より少し遅れて出た墨子は、周より古い王朝である夏の禹王〔うおう〕を尊敬し自派学問の祖と定めました。以下、詳細は省略し、結論として上掲書P290に掲げられたみごとな表のみを引用します。

   出来上がった歴史の体系→

伏羲→神農→黄帝→堯舜→禹王→周公

 ||   ||   ||   ||    ||    ||

易学←農家←道家←孟子墨子孔子

   ←学問の継起した順序 

この 「加上説」という妖刀の斬れ味は抜群で、適用範囲は記紀など日本神話、聖書、あるいは『源氏物語』のような長編など、ほぼ相手を選ばぬ多岐にわたるようです。私が『中国に学ぶ』を手に取ったのは宮崎の著書の中では比較的後の方ですが、改めて振り返ると「加上説を用いて分析したのでは?」と思い当たる記述が、それまで読んだ著書のそこかしこに思い当たります。目から鱗ボロボロでしたが、改めて考えると、師から伝授された道具を忠実に活用したというだけで、全く大したことはありません。

著者が薫陶を受けた碩学の名は同書中に半ダースほども登場し、日本における中国研究はかように脈々と受け継がれた膨大な蓄積を有しているという様子が垣間見えます。そのあたり私が感じた凄さ、すさまじさを何とか伝えられないかと思うのですが、凄さを伝えるのに必要な力量は凄さを理解するのに必要な力量をはるかに上回るため、結局ぜんぜん大したことないエントリーになってしまいました。