しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることで人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗している

謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー(追加ヒーロー4・完結)

前回ラストの『剣を鍛える話』ですが、ストーリーの意味不明さにとりあえず目をつぶると、『史記』「刺客列伝」の荊軻〔けいか〕の物語と共通点が多いと思うのです。あらすじは弊ブログでは「中国編その6」にて紹介しました。首と剣を携えて王に謁見するところとか、首だけにはならないけど王を追い回すところとか…ただし荊軻は暗殺に失敗し返り討ちにあい、秦王は生き延びますが。

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ところが『眉間尺』で検索すると「春秋時代の将軍・伍子胥〔ごししょ〕のこと」とするサイトがいくつかヒットします。

眉間尺=伍子胥? いやそれは違うだろうと思うのですが、典拠までは調べ切れていません。

魯迅の作品で多くの中学教科書に採用されている『故郷』には、「楊〔ヤン〕おばさん」という、あまり性格の良くない女性が登場します。彼女は若いころは美人で「豆腐西施〔せいし〕」と呼ばれたという記述があります。ただし私が読んだ頃の教科書では「豆腐屋小町」と意訳されていたと記憶します。竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇-吶 喊 (岩波文庫)』でもそうなっており、「原文では豆腐西施」と註釈しています。西施というのは春秋時代の代表的美女で、伍子胥と同じ時代と地方に登場します。

伍子胥の物語は『史記』の中でも人気の高いものの一つですが、例によって中国古代史セクター以外への知名度は、そんなでもありません。しかし彼の物語が提供する故事成語は意外なほど多いなど紹介する価値はあると思うので、「追加ヒーロー」編の最終回として取り上げたいと考えます。

 伍子胥は中国南方に割拠した楚の大臣の家系に生まれました。父は楚の太子・建の後見役に任命されていました。ところが楚王である平王の寵愛が若い妃に移り、その妃の生んだ王子に位を譲ろうとするというお定まりのお家騒動が勃発します。若い妃というのは、元々は太子の嫁に迎えたのを、あまりにも美人であったため父の平王が横取りしたのだそうです。

このお家騒動により太子・建は亡命し、伍子胥の父と兄は太子の身代わりのようになって平王に殺されます。

太子・建は鄭〔てい〕という国に逃れましたが、北隣の大国・晋にそそのかされて鄭の王位を奪おうとし、それが露見して殺されました。伍子胥は建の子・勝を連れて、さらに放浪します。

伍子胥と勝は、楚の追っ手を何度もすんでのところで逃れ、乞食のようになって、東方の新興国・呉にたどり着きます。

伍子胥は呉で王の闔閭〔こうりょ〕に才を見出され、将軍に抜擢されます。そして与力としてつけられた軍師が、誰あろう『孫子の兵法』で名高い孫武なのです。

伍子胥と孫武に率いられた呉軍は楚に侵攻します。楚では平王はすでに世を去り子の昭王の代になっています。昭王は都を脱出し、代わりに入城した伍子胥は、あろうことか平王の墓をあばき死体に三百回にわたり鞭を当てたと言います。「死屍に鞭打つ」の由来です。

楚には伍子胥のかつての友人の申包胥〔しんほうしょ〕という大臣がいました。あまりの仕打ちに「おぬしの仇うちのやりかただが、ひどすぎはしないか」と人をやって抗議させたところ、伍子胥は「おれはもう日暮れて途〔みち〕遠しという身だ、だから倒行〔とうこう〕して逆施〔げきし〕するのだ」と伝言させたといいます。『史記列伝1』(岩波文庫 青214-1)P72の註釈によると、この部分は「もう老い先が短い(志をはたせるかどうかもわからぬ)から、道理にさからってもしかたがない意」だそうです。

史記列伝1 (岩波文庫 青214-1)

史記列伝1 (岩波文庫 青214-1)

 

申包胥は隣国の秦を訪れて救援を要請します。秦は前・平王の妃であり現・昭王の母である因縁の女性の出身国でもあったのです。しかし秦の当主・哀公はにべもなく断ります。申包胥は秦の王宮の庭先に立ち尽くし、七日七晩、号泣したと言います。

その様子を見た秦公は、岩波文庫P65によると「楚の王は無道〔ぶどう〕であったが、かようなけらいがおろうとは。国をたやさぬようにしてやらねばなるまい」と派兵を決断します。

『東周英雄伝』の鄭問〔チェン・ウェン〕氏は、この場面を次のように脚色しています。すなわち七晩めになって秦公が、泰平に慣れ飲んだくれた自らの家臣たちをかえりみつつ、次のように独白するのです「かような良臣のいる楚を、呉は滅ぼそうとしているのか? 余には良臣がおらぬ。呉が見逃してくれようか?」『東周英雄伝』には大好きなシーンがいっぱいありますが、その中でも屈指の名シーンの一つだと思っています。

秦の援軍に加えて、留守中の呉では闔閭の弟が王位を狙って反逆を企てるという事件も勃発したため、呉軍は撤退し昭王は都に帰還します。呉は内乱を鎮圧したのちも、北隣の斉へ、あるいは南隣の越へと、次々と侵攻を企てます。その意味で秦公の集団的自衛権行使は、この時代においては宜しきを得たものだったと言えそうですが、それにしては秦公が「哀公」という芳しくない諡号を貰っている理由が気になるところです。

呉王闔閭は越との戦のさなかで負った傷が原因で亡くなり、子の夫差〔ふさ〕が後を継ぎます。夫差は弔い合戦とばかり越に侵攻し滅亡寸前まで追い詰めます。『史記』には記述はないのですが、越王の勾践〔こうせん〕は、夫差を堕落させる目的で自国の美女・西施を夫差に送り届けたという伝説があります。

『史記』に記述がないと言えば、呉王夫差が父王の復仇を忘れないため薪の上で寝、越王勾践が呉への反撃を期して苦い胆〔きも〕を嘗〔な〕めたという故事(=臥薪嘗胆〔がしんしょうたん〕)も、『史記』には記述がなく後世の成立だそうです。

伍子胥は呉王夫差のいたずらに敵を増やし戦線を拡大する積極策には一貫して反対しましたが、連戦連勝で奢った夫差に疎まれ、ついには剣を与えられ自死を求められます。

伍子胥は次のように遺言して自刎します。

「わしの墓には、梓〔あずさ〕を必ずうえろ。〔木が大きくなったら、呉王の〕棺桶にできるだろう。そしてわしの目だまをえぐり出して、呉の都の東門の上におけ。越〔えつ〕の敵がはいって呉を滅ぼすのをながめるのだ」(『史記列伝1』(岩波文庫)P69)

ほどなくして伍子胥の予言通り、呉は北方の斉を攻めている最中に背後から越に攻められ滅亡するのです。

西施は呉の滅亡の後、故国の越に戻りました。しかし越王勾践の妃がその美貌に嫉妬し、また夫が色香に迷った呉王の二の舞を踏まぬようにと、その殺害を命じ、西施は生きながら革袋に詰められ長江に流されたと伝えられます。

なお西施は胸が悪く、ときどき眉をひそめるような表情をしたのですが、それが男たちの目にはとても魅力的に見えたと言います。西施と同郷に同年代の東施という娘があり、彼女は気の毒にも容姿に恵まれていませんでしたが、西施のまねをして眉をひそめたところ…このポリティカルコレクトネス的には極めて不適切と思われるエピソードは、今日の我々に「顰〔ひそみ〕に倣う」という故事成語を提供してくれています。

伍子胥とともに放浪した楚の太子・建の子・勝はどうなったかというと、楚の昭王の後を襲った恵王の代に楚への帰還を果たし、辺境の地とはいえ封土を得て諸侯に列せられました。しかし楚の大臣と対立して相手を殺害し、勢い余って恵王を拉致するという暴挙に出たため、他の大臣に討たれました。亡命先の鄭で軽率にも鄭王位の簒奪を試みて殺された父親と言い、残念ながらこの血筋には軽挙の嫌いが感じられます。

宮崎市定『史記を語る (岩波文庫)』は、伍子胥のエピソード紹介には列伝中では魏の信陵君と並んで大きな紙幅を費やしていますが、勝のその後に関しては説明が省略されています。『東周英雄伝』に至っては、なんと勝の存在はネグられてしまっており、伍子胥が一人で放浪したことになっています。

宮崎先生は、例によって伍子胥のエピソードに対し「起承転結」を当てはめる分析を行います。また各部分に「どうして当人しか知らないはずの挿話が後世に伝わるのか」という容赦ない突っ込みも行います。そして、これは断片的に伝わっている伍子胥に関する史実に対して、後世の人間がフィクションによる肉付けを行い、中国大陸で昔から盛んにおこなわれている口伝・口演・舞台のシナリオとして伝えられていたものを、司馬遷が収集して『史記』にまとめたのであろうという推測をもって結論づけます。「例によって」と書いたのは、魏の信陵君の物語に関しても、同じような分析を行い同様の結論を導いているからです。

宮崎先生のこのアイデアを援用すると、眉間尺の物語と荊軻の物語に共通点が多いことも、眉間尺の物語と伍子胥の物語にもまた共通点が見いだせることも、その理由がおぼろげながら浮かび上がるように思えます。つまり当時は著作権という概念はありませんから、口演や舞台のシナリオ作者は、面白そうな筋があれば、流用のし放題、パクり放題だったのです。

眉間尺の物語のラストは、鍋の中で煮崩れた王と刺客と眉間尺の首を、誰も区別することができなくなったので、仕方なく三つの首を等しくねんごろに弔う塚を作ったというものです。これはかつて隆盛を誇った呉と越と楚が、相前後して滅亡したことをドラマ化したものと解釈することも可能でしょう。

逆に、刺客・荊軻伝などの方が眉間尺の物語など伝承を流用したフィクションであってもおかしくないわけです。鍋の中で王と刺客と眉間尺の首が追っかけっこをする物語が先にできて、あまりにもリアリティがないので、王だけが上れる壇上で秦王政と樊於期の首を持った荊軻が追っかけっこをする物語に作り替えたシナリオ作者がいたのかも知れません(さすがにそれはないか)。

条件をまとめるのがお留守になってしまったので、最後に七条件をまとめてシリーズの締めとします。とは言うものの伍子胥は本人が最初から最後まで大活躍するので、「その一…本人は何もしない」は当てはめようがありませんが…

その二…部下が優秀:与力の軍師・孫武
その三…妻子を不幸にする:伍子胥本人の妻子じゃないので苦しいけど、太子・建とその子・勝、それに西施が後生を全うしていないこと
その四…放浪する:これは言わずもがな
その五…口は達者:今回のエントリーに登場した故事成語だけでも「死屍に鞭打つ」「日暮れて途遠し」「臥薪嘗胆」「顰に倣う」と多数。「呉越同舟」なんてのもある

その六…体の一部分に特徴がある:「わしの目だまをえぐり出して、呉の都の東門の上におけ」
その七…外国と戦う:これも言わずもがな

というわけで皆様、よいお年を。

追記:

そうそう、「死んだ父親が作った二振りの剣のうち、雄剣の方を息子が持っている」という筋は、『るろうに剣心』の逆刃刀のエピソードにも出てくるんでした。作者の和月伸宏氏(もしくは氏のブレーンの誰か)は眉間尺の物語を踏まえたんでしょうか? それとも偶然の一致なのでしょうか…?

追記の追記:

魯迅『故郷』の「楊おばさん」と言えば、魯迅に対して「三人のお妾さんがあって」云々という悪態をつくシーンがあります。これは「中国編その2」で触れた斉の名宰相・管仲〔かんちゅう〕が三つの妾宅を持っていた(google:菅氏に三帰有り)という説を踏まえた、栄達者にたいするステロタイプで、今で言うネトウヨデマのような底の見えたものなんです。当時の中学校の先生は、そこまでは教えてくれなかったなぁ…