しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない。

洋楽の邦題を論じるのであれば日本語カバーも論じるべきだが私には力が足りない

8月8日のエントリーに、洋楽の邦題が原題や原詞と全然関係ないフリーダムである旨を書いたら、弊ブログにしては珍しく多くのコメントやブコメをいただいた。ありがとうございます。
ブコメでもご指摘をいただいたが、1970〜80年代あたりの日本語版のカバー詞をほじくり返しても、いろいろ面白いものが出てくるんじゃないかとは思った。膨大な事例があるが、一件だけ、西城秀樹の大ヒット曲で「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」というのがあるが…超有名ですねすみません。ただあのオリジナルを歌ったヴィレッジ・ピープルの、当時の位置づけと現代における評価がどうなっているかは知りたいと思った。ただしこのデリケートな問題に切り込むには、あらゆる意味で私は適任者ではない。
蛇足ながらご存知のない方はこちらを。「若者」がなぜ落ち込んでいるのか、なぜ不幸なのか、そのダブルミーニングに考えを巡らせたとき、不覚にもちょっと涙ぐんでしまった。人類の至宝ともいうべき天才数学者アラン・チューリングが非業の死を遂げたのは、1950年代とさして過去のことではない。偏見が「笑いの対象」となることを経て社会的に受容されてゆくというプロセスは、苦痛に満ちたものであったに違いないのだが、不可避なものなのだろうか? 日本国内でも(これもよくあることで)アメリカに少し遅れて似た経緯を辿っているよね?
洋楽歌詞和訳なんてキアイとソウル : "Y.M.C.A."-Village People
なお上記サイトは前回(8/8)の記事を書くとき検索で見つけ、前回・今回と大変お世話になりました。つか純粋に読んでいてメチャ面白い! 他の記事もYoutubeを再生させながら少しずつ読ませてもらっています。いや洋楽が好きな人は「ホントに好きなんだな」という感覚がびんびん伝わってきて、すごいですわ。
この記事は実は別のネタの枕として考えていたのですが、書いてみたら枕にしては少し長くなったので、中途半端ですが独立したエントリーとしてアップします。
追記:
ヴィレッジ・ピープルつながりで「In The Navy」の歌詞も読み返してみた。改めて日本語版カバーであるピンクレディー「ピンク・タイフーン」や渋谷哲平「ヤング・セーラーマン」の歌詞と比較すると、案の定日本語版ではオリジナルの意味深さ・エグさが綺麗に脱色されていて、かわりになんつーか余計なニュアンスが付け加えられていて(ピンクレディーは必要以上にエロチックだし、渋谷は、なんだこれ? 完璧に今でいうネトウヨじゃないか!)、一言でいえば改悪だった。
洋楽歌詞和訳なんてキアイとソウル : "In The Navy"-Village People
日本の大衆文化をバカにする向きは昔からあって、そういうものに対する反発も昔から感じてはいたのだが、ほんのちょっと自分で掘ってみると確かに「浅い!」というか、作り手の「こんなもんでいいだろう」みたいな受け手をバカにしてるんじゃないかと想像される部分に突き当たることもよくあって、どうしたもんかねこれ? ヴィレッジ・ピープルはおちゃらけだが、彼らは死ぬ気でおちゃらけていたんだと思うぞ。