しいたげられたしいたけ

期間限定トップ「肌の色や出自や信仰の違う他人を、憎むように生まれついた人間などいない」ネルソン・マンデラ rt by バラク・オバマ

中欧四ヶ国格安パック旅行のコンデジで撮った写真を貼りつつ旅先で浮かんだ妄想を書き連ねる(その2:プラハ市内からチェスキークルムロフへ)

1日目の午前中だけで、すでにお腹いっぱいの感もある。プラハ城を背にして、プラハ市内に下りる坂道。

上の写真の右手。坂道にほぼ直角の方向。

右斜め後ろを振り返り気味に。真後ろを向くとプラハ城がある。

左手に壁みたいな売店があった。写真からはよくわからないけど、トウモロコシに串刺しにした薄切りポテト、それから果物のスムージー(?)。品揃えが日本の露店みたいだと思った。ペットボトルのミネラルウォーターも大量に並んでいるところが、日本とちょっと違うなと思った。

市内の景勝地のカレル橋に向かう。幹線道はアスファルト舗装だが、ちょっと路地に入ると見事な石畳が。

カレル橋。歩行者専用になっている。

橋の上から見たヴルタヴァ川。写真には写っていないが、国際河川なので船がいっぱい浮かんでいた。あと写真からはよくわからないが左方の白い建物の下あたりの護岸壁が、容赦なく落書きで埋め尽くされていたのも印象的だった。

橋の欄干に聖人の石像がずらりと並んでいるのがヨーロッパならでは。五つ星の聖ヤンさんもいる(前回エントリー参照)。

プラハ旧市街広場に向かう。正面に見えるのが旧市庁舎。宗教改革者のヤン・フス像もあったが撮ってなかった(言うまでもないが聖ヤンとは別人です。念のため)。

からくり時計の前で結婚式をやっていたので撮ってしまった。
記念撮影の後ろを傘を持った人がすり抜けようとしているが、平日の昼間であるにもかかわらず、このあたりは観光客の数がすごいのだ。記念撮影をやっている正面だけは辛うじて空けているが、取り囲むようにずらりと人がいた。

この周辺で昼食。それからバスでチェスキークルムロフへ移動した。
移動中の車窓から。牧草ロール。そして緩やかな大地の褶曲。

どっかで見た光景だと思ったら北海道を思い出した。チェコ始め中欧各国は、気候、農作物のみならず、面積、人口規模、そして首都の人口までが、北海道と似通っているのだ。一番上の桁のオーダーで一致している。札幌は首都ではなく道庁所在地だが。

ここでいろいろと妄想が膨らむ。土地の形状と気候が似ているなら似たような農作物が栽培できるのはわかるとして、1000年前から発展していたという中欧諸国やその各都市と比較して、北海道の開拓と札幌の発展が近世以降まで遅れたというのは、なぜだろう?
未検証の仮説だったら、すぐに思い浮かぶ。この地域は、南にイタリア(ローマ)、東にフランス、北にドイツ、東にロシア(キエフ)と、人口が多くて古くから発展していた大国に囲まれ、発展から取り残されたくても取り残されようがなかった。一方、北海道は津軽海峡で本州と隔絶され、気候的にも本州の農業を直接移植することはできなかった。ヨーロッパ流の農業を導入して大人口を養うことが可能になった近世以降に発展がずれ込んだことは、無理からぬことだったろう。北海道農業近代化の象徴的人物であるクラーク博士は米国人だが、米国農業のオリジナルがヨーロッパであることもまた論を待たない。チェコ市内の売店の写真に写っていたトウモロコシやジャガイモは、現代の北海道の名産品でもあるよね。
当たり前すぎることだが北海道の方がヨーロッパに似ているのだ。またヨーロッパが地球上で例外中の例外に属する部位なのだろう。
で、ここで思い浮かんだのが、なぜか中国東北部三省、いわゆる「旧満州」だった。
中国東北部のほうは自分の目で見たわけじゃないから、根拠は薄弱以外の何物でもないんだけど。
「旧満州」開拓で名前が思い浮かぶ人間には、甘粕事件の甘粕正彦とか「昭和の妖怪」岸信介とか、個人的にはとても好きにはなれないが伝統的に内向きな日本人とは思えないタイプが目立つ。
星製薬創業者の星一も「旧満州」開拓人脈に連なる一人であり、旧日本軍の「阿片戦略」(一名「毒化政策」)に深く関わっていたことが彼のキャリアに暗い影を落とすが、敗戦によって「旧満州」における資産をすべて失った最晩年においても「これからは北海道だ!」と、まさに不撓不屈を絵に描いたような態度を維持する様は、尊敬措く能わずと形容するしかない(出典は最相葉月星新一 一〇〇一話をつくった人』です)。
どうして「旧満州」開拓に関わった人間が、日本人には例外的な外向きさというかスケールの大きさを持てたかというと、北海道近代化の成功体験があったからじゃないかというのが、旅先で浮かんだ妄想つか未検証の仮説なのだ。彼らには、北海道をモデルケースとして開拓が必ず成功するという自信があったんじゃないかな。
また、国家主義的という意味では右翼的でありながら計画経済的という意味では左翼的であり、貧困の撲滅という理想を掲げながら先住民の意向は一顧だにしない(アイヌに対しては悪名高き「旧土人保護法」を、「旧満州」に関しては、匪賊・馬賊と呼ばれた人達が、実は土地を追われた放牧民だったことを想起すべし)といった、一見矛盾した特徴に関しても、説明がつきやすいように思う。
さらに、最晩年の星一が北海道の価値を「再発見」したことにも、別の意味が浮かび上がってきたような気がした。乱暴に言えば「先祖返り」だったのだ!
何だかこれで、これから私が自分で本を読んだりいろいろ調べたりするテーマが一つ増えてしまった。いや私の場合は研究して論文として発表とかなんて大それたことは一切やったことがなく、あくまで自分の興味の赴く範囲でなんだけど。
話を戻して、昼食後バスで3時間ほど移動してチェコ南端の国境にほど近い世界遺産チェスキー・クルムロフへ。ここは一時期荒廃して無人になったりしていたが、現在では修復されチェコでも指折りの観光地になっている。
駐車場から足を運んで、まず出迎えてくれたのがクルムロフ城の城壁。高い!

チェスキー・クルムロフはヴルタヴァ川がΩ状に湾曲した部位に発達した街で、周囲を川に囲まれている。橋の左上に見えるのはクルムロフ城の塔だ。

またしても欄干に聖ヤンさん。ちーす。

中央広場。「スヴォルノステ広場」という名前だそうだ。

クルムロフ城に向かう。塔に上るのは有料だが、城壁に上るのはタダとのことだった。

だから城壁の方に上ってみることにした。

このレンガ壁は、よく見ると実は印刷というのがご愛嬌。観光地というのは、どこでもそんなこがあるんだ。街並みもきれいだけど土産物店だらけで、いわば人工的な都市だった。

城壁の上から撮った写真。

市内にある聖ヴィート教会。入場無料とのことだったが、入り口に鍵がかかっていて入れなかった。

だから外景の写真を撮るだけで我慢する。

さらばチェスキー・クルムロフ。この後またバスで移動し、次の宿泊地であるザルツブルクへ移動した。