しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることにより人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗した

「やみいち行動」観劇は口実で、京都という街とつながっていたいだけかも知れない

現住所から名古屋駅まで約30分。新幹線を使えば名古屋から京都まで40分弱。京都駅から「やみいち行動」が定期公演をやる京都大学まで、道路とバスの中が混んでさえいなければ、やはり40分弱。料金さえ気にしなければ、全然遠くない。
だけどかつて7年間を過ごした街だけに思い入れがあり、かえって何も用がないと訪れてみようという気にはなれない。このへんの感覚は、わかってもらえない人に説明するのは難しそうだが。
そんなんで、京都大学ブンピカ(文学部学生控室)で半年に一度「やみいち行動」さんの定期公演をやっているというのは、京都という街とつながりを維持するにはもっけの幸いである。
前回は24:00の回を観に行った。年取ると夜更かしがキツいので今回は19:00の回にお邪魔することにした。
楽だわ〜、当然ながら(^▽^;
新幹線が使えるのも楽。これも当然ながら自分で運転する必要がないし、しかも車の半分以下の時間で着いてしまう。
新幹線改札を出たところにカレーハウスがあった。こんなとこ昔からあったっけ?

キーマカレーというのを食べてみた。550円。

七条口中央改札の真ん前から撮った京都タワー。ライトアップされていた。安いコンデジでも写るもんだ。

駅の構造物と重ならない状態で、もう一枚。

バスは相変わらず混んでいた。東山五条、四条あたりを過ぎると空いてきたけど。

交通系ICカード京都市バスで使えるのはありがたい。これは帰りのバス車内で撮った写真だが。

京大正門前というバス停があるが、時間が少し早かったので、うろうろするつもりで少し手前の東山二条・岡崎公園口というところで降りた。
少し早いと言っても午後6時過ぎだから、たいていのところの拝観時間は終了している。神社くらいなら参拝できるかなと思って、平安神宮に行ってみた。近所に住んでるときには行こうなどという気にはなれないもので、行ったのは小学校の修学旅行以来だ。
甘かった。ロープが張ってあって「夜間立ち入り禁止」という立て看板が立っていた。

大晦日の二年参りとか、どうすんだろ? そういう時に限り開放するのかな?
それではと京大病院南の熊野神社へ。ここも柵で締め切られていた。まだ19:00少し過ぎだぞ…って十分遅いか?
ただし外からでも本殿が見えたので、鳥居の外側からお参りだけした。

聖護院。ここは入れたみたい。実際、入っていくグループを見かけた。観光客なのか信者さんなのかはわからない。ただし開場時間が迫ってきたので、ここも門外からお参り。

京都大学本部構内。着いてみると、なんとなく、こっちの方が聖地感ある。ただし時計台内部は創立百周年記念事業だったかで改装され、8年ほど前に一度入ったが、コンクリ再建天守閣の中身みたいになっていた。けだし聖地というのは、どこも中身は空虚なものだ。

「やみいち行動」のぼんぼり。前回の6月公演のときもあった(参考 ⇒ http://watto.hatenablog.com/entry/20150629/p1)。

こんなのはあったっけ?

ブンピカ内部。6月は写真まで撮ったのに気づかなかったけど、動物の胴体はこんなふうになってたんだ!(6月は文章を読むのに気を取られていたんだと思う)

19:00公演スタート。「やみいち」の演劇を観るのは二度目なので、初回の「やべ、こいつら只者じゃない!」というインパクトはなかったが、安定して楽しませてもらいました。
題目は「ベルサイユのばらし」。「ばらし」というのは舞台用語で公演終了後の撤収作業のことだそうだ。冒頭、フランス王政政府が増税しなければならなうなった理由として、「アトリエ劇研」がなくなることになったので、その跡地にザハ・ハディド氏設計8万人収容の「やみいち」専用劇場を建てる費用との旨が述べられる。「アトリエ劇研」って何だ? よその地方の人間にはわからないぞ。わからないけど多分「七ツ寺共同スタジオ」みたいなもんだろう…って余計にわかんねーよ!
というわけで(どんな訳だ)、今回も、彼らのパロディと楽屋落ちを主力とする笑わせテクニックを、ライブならぬ文字で再現することは不可能である。「ベルばら」のパロと言いながら、今回は美人さんの客演女優さんはいないのか? で、登場人物は全員男性が演じていた。マリー・アンコワネット(アントワネットではない)の衣装を見た侍従長役が「池田がやってるとわかってても胸を見てしまう」(アンコワネットを演じるのは池田一平氏という俳優)とのたまうシーンのおかしみを、どうやって文字で表せるっちゅーねん!
だがいつも褒めてばかりなのは悔しいので少しくさすと、パロディと楽屋落ちが主力ではメジャーにはなれないだろうなとは思う。アマチュア劇団出身でマスメディアに出るようになった人は何人も思い浮かぶけど、彼らはみなオリジナルで勝負をした。これは演劇に限ったことではなく、例えばマンガでも、名前を出して悪いけど私は小島アジコ氏のファンだが、アジコ氏がパロディ主力の作風のままメジャーになることはないと思ってる。ちょっと前に「はてなダイアリー」の方で、ゆうきまさみ氏の名前を出したことがある。「月刊OUT」というメジャーとマイナーの中間のような媒体に描いていた頃から知っているが、メジャー誌でブレークするためにはパロディとエロを封印する必要があった。「少年ジャンプ」の新人募集で「ジャンプではパロディはやりません」という告知を見た記憶もある。
まあそんなことは、パロディやっている人たち自身がいちばんわかっていることだと思うが。そもそもメジャーになりたいと思っていない人も多いだろうし。
21:00少し前に帰途につく。なんだこのまともな時間は? つか年寄りには体が全然楽であることを再度強調しておこう。
京大本部の北側、今出川通という通りに面した門。「立ち入り禁止」とか書いてあるが、全然禁止してねー。つか午後9時程度では、煌々と明りがついている研究室の窓がいくらでもある。

さっき「聖地の中身は空疎なもの」と書いたけど、研究にしろ演劇など文化活動にしろ、現役で何かをやっていること自体が本当に神聖なのであって、またそういう活動のさなかにある人間は自分のやっていることを神聖だなんて夢にも思わないだろうと思った。そして現場から離れて時間が経過し現役時代を忘れかけた時に、なにかのきっかけで現役時代を思い出したときに、そこに「神聖さ」のようなものを感じ取るんじゃないかとも思った。もしそうだとすると、聖地の中身が空虚であるのは必然とも言えるだろう。
ただの思いつきです。何の根拠もありません。
帰りの新幹線に乗るときに、七条口中央改札そばのエスカレータの手すりが、こんなふうになってるのに気づいた。写真ではわかりにくいけど京友禅柄なのだ。今回のオチ代わりに貼ってしまう。