しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない。

三島由紀夫はなぜ『卵』を好んだか?

謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー(追加ヒーロー4・完結)」で、「眉間尺の物語がそっくりなのは伍子胥〔ごししょ〕ではなく荊軻〔けいか〕の物語でしょう」ということを書きました。それをきっかけに、やはりパソコン通信の時代に、三島由紀夫の『卵』という短編が、ある有名な物語とそっくりだという記事を書いたことを思い出しました。そしてそれも、ハードディスクからサルベージできました。例によってネットで検索すれば出てくるところに置いておきたかったので、自分のブログに貼ることにします。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

 アイキャッチ画像にと文庫本の書影を貼ってみたけど、今のは自分が慣れ親しんだオレンジ色のカバーじゃないのがちょっと残念です。

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以下、ネタバレが含まれていることを警告しておきます。

 例によって、当時のパソ通の事情を知らなければ意味不明な部分を削除するなど、一部手を加えています。

 01901/01901 CXX02375 わっと 三島由紀夫はなぜ『卵』を好んだか?

( 3) 98/04/29 --:--

 三島由紀夫に『花ざかりの森・憂国』という短編集があります(新潮文庫)。掲題の『卵』というのはこの短編集に含まれている一小品のタイトルです。三島はあとがきで次のような意味のことを書いています。この作品が評論家から評価されたことはないが、自分の偏愛の対象になっている。何かの寓意を書こうとしたつもりではなく、このようなナンセンスな物語が自分の頭脳から生まれることはまれである…(手元に本がなく、一応図書館や書店を探してみたのですがすぐには見つからなかったので、うろ覚えからの再現です(^^;)

 で、三島ほどの作家の「偏愛の対象」となっているのがどのような作品かというと、確かに一読して同短編集の中で異色を放っているのは歴然ですが、もしどのような「異色」なのかを説明せよ、と要求されたら、しばらく持ち合わせの語彙の引き出しを探ってみる必要を感じることでしょう。旧約聖書中の『ヨナ書』のような、というか…物語性の強い…そう、この短編は「きわめて物語性の強い作品である」という形容こそが最も適切かと感じられます。

 未読の方のために、また筋を憶えていない方のために、『卵』のあらすじを紹介します。必要あってラストまで紹介しますので、未読の小説のラストを教えられることを好まない方は(小生も本来はその一人なのですが…)、以下はお読みにならないようお願いします。
       *      *      *      *
 主人公は共同で下宿している5人の学生です。体育会系で、デキは悪そうです。仏教の「五戒」を逆にもじって命名され、それぞれ名前通りの特徴を与えられています。ただ「妄語」にちなんだ登場人物は、彼が口にする言葉はいずれも「本当」らしく聞こえるのに、それが仲間や*作者*からはことごとく「嘘」扱いされるという気の毒な人物です。
 彼らはいずれも大食漢の大酒飲みで、朝食には生卵を常食します。ある夜酒を飲んで帰る途中、卵の大群に捕まり裁判にかけられます。卵を食べたことをとがめられたようです。しかし卵の検察も、彼らにつけられた貧相な卵の弁護人も、主張はすべてどこかとんちんかんで喜劇的です。
 彼らに死刑が求刑され、危機一髪と言うところで、登場人物の一人(さきほどの、言うことをすべて嘘扱いされる学生ですが)が、彼らのいる裁判所が大きなフライパンであることに気づき、みんなでフライパンの柄をひっくり返して卵たちをことごとく割ってしまいます。さらにたまたま通りがかった空のタンクローリーに割れた卵の中身をすくい取って、それからの彼らの朝食には生卵の代りに溶き卵でこさえた超特大の卵焼きが供されるというところで短編はおわります。
       *      *      *      *
 たしかに親しみやすい短編です。しかし三島があとがきで「偏愛の対象」とまで書いてしまったのは彼の失策(?)のようです。すなわち、おのれの無知蒙昧を省みずその理由を探ってやろうと考えるタチの良くない読者を挑発することになるからです(笑)。

 物語性の強い小説の常で、どこかで似た物語を読んだことがある、道具立ては童話とはほど遠いが、筋立ては童話に他ならない、と気づけば、『ちびくろサンボ』を思いつくのは容易です。ながらく幼児達に愛され続けたロングセラーでありながら、突然「人種差別」の汚名を着せられ一時期書店の店頭から姿を消したこの童話になぜ思いが至ったか、その経緯を説明するのは実に難しい。けれど『ちびくろサンボ』を思いついたら、なぜこれが他の人によって言及されたのを見かけた記憶がないのか不思議なくらいです。

 すなわち…

<あまり賢くない主人公>
(『卵』…5人の学生、『ちびくろサンボ』…サンボという名の黒人少年)

<危険な敵>
(『卵』…擬人化された卵たち、『ちびくろサンボ』…4頭の虎)

<主人公が直面する危機>
(『卵』…卵の裁判で死刑を求刑されること、『ちびくろサンボ』…虎たちに食べちゃうぞと脅され、着物を次々と奪われること)

<逆転>
(『卵』…卵たちを割ってしまうこと、『ちびくろサンボ』…虎がバターになること)

<戦利品を大いに平らげるというラスト>
(『卵』…溶き卵で作った座布団ほどの卵焼き、『ちびくろサンボ』…虎バターでこしらえたホットケーキ)

 こうしてタイトルの設問「なぜ三島由紀夫は『卵』を好んだか?」には明快な解答が与えられます「『卵』は『ちびくろサンボ』だったから!」。

 これが実際には何の説明にもなっていないことは承知ですが、それゆえもしこれが試験の問題か何かであったなら採点者により及第点が与えられない可能性の方が高いことも承知ですが、しかしより説明らしくするために「小説が物語たりうるには、小説が小説のままでいるよりもはるかに多くのルールor約束事をふまえる必要がある」などと論じはじめるより(これはこれで、もっと長い論文の入り口になりうることですが)、このテーゼはこのままにしておくことを小生は好みます。そう、あたかも三島が『卵』への偏愛を告白したように。あるいは芥川龍之介が『侏儒の言葉』にて「古い酒を愛するように、古典的な快楽論をこよなく愛する」と告白したように。

98/04/29(水) わっと(CXX02375)

 その後文庫本が出てきて自炊していたので、正確な引用が可能になりました。著作権法で認められた批評・研究の目的にて引用します。蛇足ながら自炊も法律で認められた範囲内で行っています。念のため。

『卵』(昭和二八年五月・群像)は、かつてただ一人の批評家にも読者にもみとめられたことのない作であるが、ポオのファルスを模したこの珍品は、私の偏愛の対象になっている。学生運動を裁く権力の諷刺〔ふうし〕と読まれることは自由であるが、私の狙〔ねら〕いは諷刺を越えたノンセンスにあって、私の筆はめったにこういう「純粋なばからしさ」の高みにまで達することがない。

上掲書P258~259

以前の文庫本の書影もスクリーンキャプチャできたので貼ります。そしてアイキャッチ画像には、こちらを使用します。

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