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しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることによって人権を守ろうとする試みは経験的に全て失敗している

【創作】劉禅密勅(前編)

「謎解き日本のヒーロー・中国のヒーロー」では『三国志』の話がほとんどできませんでした。その埋め合わせにと言うか、創作のあらすじにと考えたネタをエスキース(下絵)として公開します。実は私も古代中国史には『三国志』から入ったクチです。吉川英治の小説版からでしたが。

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舞台は劉備没後の蜀漢帝国です。諸葛亮を継いで蜀軍の総帥となった姜維が、諸葛亮の臨終の推挙として、無名の将である主人公を後主・劉禅に謁見させます。

主人公の名は、承祚〔しょうそ〕にしようか陳承〔ちんしょう〕と呼ばせようか迷っています。三国志セクターあるいはぐぐった人に一発でネタバレにならない程度には加工しようと思っています(今、ちょっとぐぐった限りでは陳承の方がバレにくそうなので、陳承で行きたいと思います)。

後主「若すぎはしないか?」

主人公・陳承は、『スター・ウォーズ ファントム・メナス』に登場するアナキンのような、あるいは『東周英雄伝』に初登場した時の秦王・嬴政のような、若いというよりは幼い容貌に描きたいと思っています。

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後主は陳承に対する英才教育として、姜維に陳承を伴って魏と対立する最前線である漢中盆地に視察に行くよう命じます。漢中盆地は劉備前漢帝国が興った場所であり、従って蜀漢帝国にとっての聖地でもあります。

しかしこの物語の時点では、漢中盆地と長安を隔てる秦嶺山脈の尾根尾根に魏軍が展開し、蜀軍と一触即発の状態にあるものとします。

前線を視察した陳承は、一目で異状を見抜くことにします。

陳承「丑寅方向の敵軍の様子がおかしくないですか? 守備軍は稜線に沿って展開するものだと思っていましたが、あそこだけ山腹に膨らみすぎていませんか? あのような布陣をする意味があるのでしょうか?」

姜維「奇襲をするつもりでもなければ…しかしあの方角には重要な施設はないはずだが…しかもあんな少数では奇襲を成功させることもおぼつかないのだが…いや、烽台を狙う気だ!」

中国では古代から発達していて日本には伝わらなかったものの一つに、烽台による通信網があります。来村多加史万里の長城 攻防三千年史』 (講談社現代新書)によると、漢代にはすでに領土内を網羅する烽〔のろし〕の通信網が構築されていたそうです。 杜甫の『春望』には「烽火〔ほうか〕三月に連なり」というフレーズがあります。日本の地形は、烽台による通信網を構築するには適さなかったのでしょうか?

万里の長城 攻防三千年史 (講談社現代新書)

万里の長城 攻防三千年史 (講談社現代新書)

 

 同書をタネ本に、烽台が機能していることを確認するために、異状がない場合でも毎日日没前に「平安火」と呼ばれる烽火を上げる習慣があったなど、トリビアを開陳したいと思います。

姜維「おおかた烽台を乗っ取って平安火を上げ続け、その間に奥地から侵攻しようというつもりだろう」

姜維はただちに関統〔かんとう〕(=関羽の孫)、張遵〔ちょうじゅん〕(=張飛の孫)ら諸将を率いて出陣し、奇襲兵を打ち破り斬首数百という蜀軍には久方の大勝を得たということにします。

久しぶりの捷報〔しょうほう〕に蜀都・成都の朝野は沸き立ちます。姜維と陳承は凱旋将軍として迎えられるのですが、朝廷において前線の報告をする姜維も報告を受ける後主も、表情は明るくありません。なぜなら報告書として提出された地図には、分厚い秦嶺山脈の尾根という尾根に、魏軍が何重にも何重にも展開しており、補給網も完備されているさまが記入されていたからです。

姜維「前丞相(諸葛亮のこと)が悲願とした長安進出は容易とは言えません」

後主「国力の差というものであろう。是非もない」

 蜀漢に「七縦七禽〔しちしょうしちきん〕」の逸話で知られる南方討伐があったように、魏も必ずや領内を平定する戦があったことでしょう。仮に反乱を鎮圧する前であったなら、支配面積に差があったとしても蜀漢にワンチャンスがあったかも知れません。しかしこの視察結果は、一縷の希望を打ち砕くものであったという位置づけにしておこうと考えます。 

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主人公・陳承は、後主の命を受け武官としてではなく文官としての英才教育を受けることになります。汗牛充棟〔かんぎゅうじゅうとう〕の原義のごとく膨大な木簡、竹簡に埋もれながら、四書五経と格闘する様を描きたいと考えています。陳承は「なぜ兵書を読ませてくれないのですか? なぜ『孫子』を講義してくれないのですか?」と不満を漏らしますが、誰も「主命なのです」以上のことは教えてくれません。

陳承につけられた師匠の名は、ラスト近くではフルネームをばらすとして最初のうちは「譙〔しゅう〕先生」とだけ呼ばせようと思いますが、珍しい姓なので勘のいい人にはこれだけでオチがわかるかも知れません。プロの作家にとっては、このあたり作者と読者の知恵比べみたいになるのでしょうが、私は素人なので舞台裏までぶっちゃけます。

後漢王朝を引き継いだ魏の朝廷では、後漢の宮廷で開発された最先端技術「紙」を使って、事務処理はうんと効率化されているという噂を、このあたりで示しておきたいと考えます。地方政権を簒奪したにすぎない蜀漢王朝には、紙の製法までは伝わっておらず、高価な値段で購入するしかなかったということにしたいと思います。

これは吉川英治の『三国志』の冒頭が、先主・劉備が当時貴重品であった「茶」を苦労して入手したシーンから始まっていることの顰に倣ったものです。

譙先生が勉強中の陳承に「少し休憩しては」と茶を勧め、陳承が「こんな高価なものを」と驚くと「蜀の地は茶の発祥地だが、自立とは言うものの周囲から孤立し交易を断たれた現在では、仮に市に出せば千金の価がついたとしても、そうするすべがないのだ」と悲しげに語らせることにしたいと思います。

早いうちに「蜀漢の至宝」ということで、成都の王宮に保管されている笈〔おい〕に封印された謎の宝物を出しておきたいと思います。人一人で辛うじて背負えるほどの重さです。その中身は朝廷内でも限られた人間しか知らされず、陳承もその正体を知りません。「万金で求めたものと聞いているが、玉金にしては大きすぎる。はて、何であろう?」と成都の官人・庶人に噂させることにしたいと思います。

少し長くなったので、前後編に分け、ここまでを一旦「前編」として公開します。

以下「後編」に続きます。