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しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることによって人権を守ろうとする試みは経験的に全て失敗している

実家のある市の例祭を久しぶりに見て「ムラの掟」の記憶が蘇った。ところで皆さんの地域では露店を何と呼んでいましたか?うちは「香具師〔やし〕」でした

GW後半の行事として、実家のある市の例祭を十何年ぶりか(ひょっとしたら二十年以上ぶりかも知れない)で見た話を、2回にわたってエントリーに書いた。

主にスマホで撮った写真を貼るばかりで、あまり感想を書かなかった。どちらかというと、よい記憶より敬遠したい記憶の方が多く蘇ったからだ。敬遠したい記憶というのをもうちょっと具体的に書くと、「ムラの掟」とでもいうべきものだ。

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実家のある市は、60年以上前にいわゆる「昭和の大合併」で成立した。元は、中心部をなす地域だけが町で、あとは全部村だった。合併から60年も経過しているのに、住人の意識には、昔の行政区分の記憶が色濃く残っている。写真を貼った例祭は、中心部の町の祭りである。実家の家族はその祭りに対してずっと、驚くほど冷淡だった。なぜなら自分たちの住む町(元の村)の例祭でないからだ。自分たちの住む町の郷社の例祭は秋にあり、そちらのほうには熱心だったような記憶がある。ただし私は、子ども心にはそちらは「つまらない」と感じていた。規模が小さくて露天商が呼べなかったのだ。露店は間違いなく「祭りの華」の一つではないだろうか?

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ところで皆さんのお住まいの地域では、露店(夜店・出店・テキヤ…)を何と呼んでいましたでしょうか? うちの田舎では、なぜか必ず「やし」と呼んでいました。漢字では読みより多い三文字の「香具師」を当てることを知ったのは、かなり年行ってからです。「やし」という響きには、どことなく侮蔑のニュアンスを感じ、好きになれませんでした。

ちなみに郷社のことを、実家ではなぜか「氏神」〔うじがみ〕と呼んでいた。これも辞書的な意味(例:「春日大社藤原氏氏神」「八幡宮は源氏の氏神」)とは、ちょっと違った意味で使われていたのではと、後になって気づいた。

話を戻して、昔の自治体区分に関する意識は他にも随所に残っており、例えば市議会議員に関しても「あの人は□□町の人、この人は△△町の人」という区別をする。

そうすると、どうしてもいろいろと複雑な想像をしてしまうのだ。祭りを維持するためには、人を集める必要がある。しかし市の中心部の衰退は、覆うべくもない。これは上に示した写真と同じ通りを、ほんの少し南方に移動したところを撮ったものだ。しもた屋ばかりが並んでいるが、元は商店街だった。

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これは同じ通りを少し北にずれたところ。アスファルトに残った山車の轍を撮るつもりだったが、シャッター街と化している様子がおわかりいただけますでしょうか?

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しかし、意外なことにネットで統計を調べると、市の人口は増えているのだ! 確かに気をつけて見回すと、かつての田んぼが新築住宅の分譲地に変わった場所が、そこかしこに見られる。県庁所在地始め県内の主な都市が軒並み人口を激減させている中で、驚くべきことと言わざるを得ない。隣接する愛知県が、自動車産業などの好調のおかげで首都圏と並んで日本国内では例外的に踏みとどまっている余慶にあずかっているのだろうか。

そうすると祭りを維持するには、市の外部から移住してきた新住民たちを巻き込まざるを得ないだろう。

これは勝手に撮らせてもらった着飾った少女たち。山車に乗せるのだ。かつては「お稚児さん」と呼んでいた。今はどうか知らない。

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これは「子どもみこし」かな。山車以外にもみこしも出るようだ。

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これは市の萌えキャラ。こんなもんまで作っていたんだ! 論旨と全然関係ありませんですねすいません。

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この子らやその親、そしておそらくは萌えキャラの作者(←強引に論旨に埋め込もうとしている)のような若い世代に、「ムラのルール」を教育しているのだろうか? そういう想像をすると、なんだか嫌な気分しかしない。若い人たちは、「この人は××町の人」「あの人は○○町(旧○○村)の人」なんて文化に、摩擦なしに適合できるのかな? もし適合できるとしたら、それはそれで嫌な気がする。

それ以外にも、理不尽なことはいっぱいあるのだ。80近い老母のところには、かなり多量の「町内会の役職」なるものが回ってくる。春休みのさなかで登校する学童などいないにもかかわらず、市長が視察に来るからという理由で、旗を持って横断歩道に立たされたという時には、こっちが気伏せりするまで愚痴を吐かれた。選挙で落とせよそんな市長!

ちょうどGWのさなかに  id:pukarix さんのこんな記事を拝読した。

pukarix.hatenablog.com

これはこれで、とんでもねー話である。法律をないがしろにしてまでの社内ルールの偏重を、弁護する気は一切ない。だが、私の知る範囲で「ムラの掟」から逃れるのに有効なほとんど唯一の口実が「仕事がある」なのだ。かつての同窓生で、ずっと市内に住んでいる者でも、「仕事がある」というと町内会活動が免除されているらしい。これも老母の談。

ひょっとしたら、仕事によって田舎のしがらみから逃れることに成功したことが、社内ルールの偏重という新たな事態をもたらしたのではないかという想像が頭をよぎり、その旨をブコメに書かせてもらった。うんと単純化すれば「ムラの掟」が「会社の掟」に移行した、という図式が成り立つかも知れない。

未検証の、単なる思いつきにすぎないのだが。