🍉しいたげられたしいたけ

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閉店が目前なんじゃないかと思うほど荒廃した書店で入手が難しそうな本を何冊か買った話

何年か前から、名古屋市に隣接する現住所と岐阜県の南部にある実家との間を、頻繁に往復するようになった。家庭の事情によるものである。

県境をまたぐとは言え、高速を使うと片道一時間足らずで着けてしまう。だが高速料金がバカ高いので、たいていは下を走る。そうすると二時間くらいかかる。

いつも同じ道ばかりだと飽きるので、たまにルートを変える。ごくたまにだが、帰途、時間の余裕がある時に、うんと遠回りをして、国道258号線を三重県北部まで南下して、そこから国道23号名四バイパスに乗り換えるということも、何度かやった。

そうするとさらに一時間くらい余分に時間がかかるのだが、なんでそんなことをやるかというと、二つ理由がある。

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一つ目は、国道258号線からの養老山脈の眺めが、とてもいいからだ。起点の大垣市から南下すると、トンネルに入るんじゃないかと思うくらい、平野から山懐をめがけて突進する。そして山脈と並走するように山のふもとを走行するのだ。トンネルは実際には「盤若谷トンネル」という、天井川の下をくぐるための、ごく短いトンネルとは言えないようなところが一箇所あるだけだ。いやそれはそれで珍しいか。

二つ目は、全くの個人的な事情である。30年近くも昔のことになるが、新卒で就職して研修期間を終え配属された工場が、三重県の北部にあったのだ。そこに8年ばかり勤めた。工場周辺は何もなかったので、買い物や遊びに、よく三重県の最北部にある市の中心部まで出かけた。それが懐かしかったので、わざと遠回りした。

その市のメイン駅周辺は、近年めっきり様変わりしてしまった。一番大きな変化は、再開発として、駅前に巨大な複合ビルができたことであろう。行政窓口、商業施設、マンション、立体駐車場が同居する、複合ビルの名に恥じぬ堂々たるビルである。

一方で、改札口に直結した駅から最も近くにある雑居ビルは、再開発が進まぬままである。想像でしかないが、権利関係が何か面倒くさいことになっているのだろうか?

それはともかく、再開発のあおりでか、駅前商店街もすっかり様変わりしてしまった。大幅に店舗が減っていたのだ。

かつて休日のたびに通った二店の書店のうち、一店は影も形もなかった。閉店したのか、どこかへ移転したのかは、わからない。

もう一つの店は、営業していた。店の前の駐車場に車を停めて、入ってみた。

軽い後悔を感じた。ときどき見かける、荒廃の激しい書店というやつになっていたからだ。

書店に並ぶ書籍は、実は頻繁に入れ替わっている。新刊は、店頭に並べられてしばらく売れないと、取次に返本されて別の新刊と入れ替えるのだ。このシステムの功罪は様々に論じられるが、今はさて措く。書店の経営者にやる気がないと、このサイクルがすぐに滞るのだ。そして店頭在庫は、あっと言う間に小口が日焼けしカバーが色褪せる。そしてその上に埃が積もる。

そういう書店を、これまでに何軒見たことだろう? かくして私の足が書店に向く機会はいつしかどんどん減り、ネット通販に頼ることばかりが多くなった。

回れ右して店を出ようとしたとき、単行本の棚に見慣れない背表紙が並んでいるのが目に入った。大蔵出版の「新国訳大蔵経」シリーズだ!

現在、世界最大級と言われる北伝大乗仏典のコレクションは「大正新脩大蔵経」で、大蔵出版から刊行されている。これは全文が漢文の白文で、私なんかには読めたものじゃない。それを読み下し文にした「新国訳」シリーズが同じ大蔵出版から刊行中であることは、何かの折にネットで検索して知っていた。ただし実物を見るのは初めてだった。

一冊を手に取ってみた。箱付き上製本で、パラフィン紙カバーまでかかっている。値段を確認する。高い! おいそれと手の出る金額ではない。

だが、そのままうっちゃっておく気にはなれないタイトルもいくつか目に入った。さんざん迷って、そのうちの一冊をレジに持って行った。 

新国訳大蔵経 浄土部(3)阿〓仏国経他

新国訳大蔵経 浄土部(3)阿〓仏国経他

 

上に挿入したリンクでは、タイトルの『阿閦仏国経』という漢字が、うまく表示されない。「あしゅくぶっこくきょう」と読む。「弥勒三部経*1」、「薬師経典*2」が併収されている。

なんでこの本を捨てがたいと感じたかは、少し説明がいるだろう。私は神社仏閣巡りの趣味があり、古い仏像を見るのが好きだ。そして仏像は、みな仏典に由来がある。阿弥陀如来のいわれを記した「浄土三部経」や、釈迦如来あるいは観世音菩薩が出てくる「法華経」は、文庫本で容易に手に入るが、それ以外の仏さまたちの由緒を記した仏典は、なかなかに入手が難しいのだ。「弥勒菩薩」「薬師如来」というと、数々の仏教美術の名作逸品が思い浮かびませんか?

レジには高齢の婦人が座っていた。私が本を差し出すと、意外そうな表情を浮かべた。「これが売れるのか?」と思ったのだろう。問わずがたりに、上に書いたようなことを簡単に述べた。レジの老婦人によると、この本は亡くなった元店主の夫が売るためというよりは自分で読むために仕入れたもので、読む前に亡くなってしまったが買い取りなので返品がきかず、仕方なく店頭に並べておいたということだった。

要求したわけじゃないが、かなり値引きしてもらった。

何ヵ月かたって、同じようにしてその書店を訪れた。別の一冊をレジに持って行った。老店主は私のことを覚えていてくれた。「全部差し上げましょうか?」とまで言ってくれたが遠慮した。またしても大幅に値引きしてくれた。

そんなことを三度ほど繰り返した。最後に行ってから、しばらく間が空いたので、その店が今も営業しているかどうかは知らない。何度目かに顔を見たときに、老店主はそろそろ店を閉めようかというようなことを言っていたように記憶する。それを確認するのも、少し怖いような気がする。

前回のエントリー に書いた本は、そうやって手に入れた一冊である。

新国訳大蔵経 律部〈7〉四分律比丘戒本・四分比丘尼戒本

新国訳大蔵経 律部〈7〉四分律比丘戒本・四分比丘尼戒本

 

*1:弥勒上生経、弥勒下生経、弥勒大成仏経

*2:薬師本願経、薬師本願功徳経、薬師七仏本願功徳経