読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを要求しない

人権を守るには人権を守るしかないこと。人権以外のものを守ることによって人権を守ろうとする試みは破綻すること(その1)

社会

北村薫街の灯 (文春文庫)』より引用する。

「この間、横浜の裁判所で、実家に逃げ帰った妻に、慰謝科百五十円を払えという判決が出ました。夫が《けしからん》と訴え出たのです」
「ああ……」
 そういうことは、わたしには関係ないと思って、また、不快そうな記事だったので、あまり気にとめていなかった。
「賭事にふける夫に、悪い病気まで移され、たまりかねて逃げ出したのです。それでも、裁判官は、《仕えるべき夫が若気の至りでそのようなことをしても、妻たるものは従うのが当然である》といった。《実家に逃げたのは、自らの務めを放棄し、夫を侮辱する行為である。女の道を踏み外したことは許し難い》――という、お上の判決でした」
「………」
 子供の頃、ミス・へレンと読んだ、ビアトリクス・ポターの小さな絵本を思い出した。子描のトムが鼠の夫婦に捕まり、練り粉で体を丸められ、食べられそうになる。恐ろしくてたまらなかった。その記憶が、何の脈絡もなく、蘇って来た。

P80~81、改行位置変更しました。

街の灯 (文春文庫)

街の灯 (文春文庫)

 

スポンサーリンク

 

『街の灯』は、著者のいくつかあるシリーズの一つ「令嬢探偵」ものの第一冊である。舞台は昭和初頭の東京。主人公は、ハイティーンの女学生だが、華族にして大企業の社長を務める富豪の父親を持ち、運転手付きの専用車をあてがわれている。その運転手は主人公よりやや年上の女性で、主人公から「ベッキーさん」というあだ名を与えられている。

上に引用したのは、主人公と「ベッキーさん」の会話である。

 「令嬢探偵」シリーズでは、主人公自らが探偵役を務めること、主人公が謎を解くにあたって、おそらくは主人公以上に有能であることが示唆される「ベッキーさん」によって与えられるヒントが転機になることなど、様々な試みが行われている。しかし、むしろ私は、謎の提示と謎解きを性急に追うのではなく、作品中に丁寧に描かれる昭和初期の時代の雰囲気をじっくり味わうことが、このシリーズのよりよい読み方ではないかと思っている。

そして、異なる時代の雰囲気をあそこまで再現できる著者の並々ならぬ力量に、驚嘆の念を禁じ得ない。おそらくは膨大な資料を読み込んだことであろう。その資料の読み方には「当時発行されていた新聞の縮刷版を、一日分ずつ順に読んでいく」という、よく知られた、しかし実行は容易ではない方法が含まれていたことは確実だと思う(いや根拠はなく、ただ私がそう想像するだけだが)。

最初に示した引用は、著者がそうして出会った記事の一つであろう。この記事が著者にとっても印象的だったであろうことは、同じ記事への言及が、シリーズ第三冊にして最終巻の『鷺と雪 (文春文庫)』において再びなされることからも窺い知られる。

 えーと、あった、あった。わたしが子供の頃だから、大正の末あたりと思ったが、まさにその通り、大正十五年六月号だ。水谷まさるの「アメリカ通信」。
 あちらでは、いかに女が幅をきかせているかが書かれた後に《とにかく、萬事〔ばんじ〕がこの通〔とほ〕り。夫婦〔ふうふ〕になつても、つまらないことで、女〔をんな〕は裁判所〔さいばんしよ〕に夫〔をつと〕を訴〔うつた〕へて、別〔わか〕れたいといふ。たいてい、女〔をんな〕の方〔ほう〕が勝〔か〕つ。然〔しか〕も、別〔わか〕れて後〔あと〕も、男〔をとこ〕がその女〔をんな〕の生活〔せいくわつ〕のお錢〔かね〕だけは出〔だ〕さなくてはならぬといふやうな、馬鹿〔ばか〕々々しい話〔はなし〕はいくつもある》とある。
 ママがパパを裁判所に訴えるというのが、不思議で印象に残ったのだ。別れても生活の面倒はみてもらえるというのは、なるほど、パパの方から見たら《馬鹿々々しい話》かも知れない。ママからしたら、その語の生活のお金を出してもらわないと、安心して訴えられない。
 あちらとこちらは事情が違う。いつかベッキーさんがいっていた現代日本の裁判――夫が賭事にふけり、悪い病気まで移された妻が、たまらず実家に逃げ帰った。それを夫が《けしからん》と訴えたことなど、アメリカの女性が聞いたらどうか。まして、裁判官が《妻の道を踏み外し、夫を侮辱した》とその女性を責め、《夫に従うのが当然》と断じた――と知ったらどうだろう。 

P101、改行位置変更しました。

鷺と雪 (文春文庫)

鷺と雪 (文春文庫)

 

人権を守るには人権を守るしかないことを、書きたいと思った。人権以外のものを守ることによって人権を守ろうとする試みは、経験に照らして必ず破綻することを、書きたいと思った。例えば、伝統を守るであるとか、家庭を守るであるとか、そういったことにより結果として人権もまた守られるということは、あるかも知れない。それらを一概に否定するつもりはない。しかし、伝統や家庭を守ること自体を目的視することが、結果として人権を損なうという本末転倒は、昭和初頭すなわち1930年代ならぬ21世紀現在の日本においても、ありふれたことではなかろうか。

しかし演繹的には、少なくとも今の私にすぐに論を立てることはできない。だが帰納的に、すなわち様々な材料を集め例示の集積として示すことなら、できるかも知れないと思った。それによって何らかの法則性のようなものを見つけることも、今すぐには無理だがひょっとしたらできるかも知れないと思った。

だからブログタイトルに「その1」と付けてみた。「その2」以降があるかは、わからない。完結があるかどうかも、わからない。