🍉しいたげられたしいたけ

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「若いうちに名作古典は読んどくべきだ」と実感した理由を内省したらしょうもないことだった

「はてなブログ」には、すごい人、畏敬すべき人が、きら星のようにたくさんいる。そのお一人 marco (id:garadanikki)さんは、たいへんアクティブな方で、日本各地を旅行しながら平易な文章でその旅情を、かつまた旅にあらぬ日常を、ブログに綴られている。その折々に、一見平易な文章の背後に分厚い教養が読み取れ、圧倒されるのである。いや多分私なんぞには、仕込みの十分の一も読み取れてないと思うけど。

その marco さんが、二回にわたって井上靖の『しろばんば』について書かれていた。やはり「はてなブロガー」で豊橋在住の よんばば(id:yonnbaba)さんを訪問したときにもらったお土産が、それにちなんだものだそうだ。

勝手ながらリンクを貼らせてください。

garadanikki.hatenablog.com

garadanikki.hatenablog.com

ゼリーいいなと思いつつ、つい後者に、こんなブコメを投入してしまった。

しろばんばって。。。 - garadanikki

若い頃に名作古典をたくさん読んでいるのは、間違いなく後々の財産だと思う。恥ずかしながら高名なこの書も私は未読…

2016/12/24 20:38

b.hatena.ne.jp

でもって、なんでこう痛感したのだろうと考えるともなしに考えたら、最近の出来事に思い当たった。

私とて井上靖は一冊も読んでないわけではない。とは言えとっさに思い出せるのは『天平の甍 (新潮文庫)』、『風林火山 (新潮文庫)』、『敦煌 (新潮文庫)』、『楊貴妃伝 (講談社文庫)』くらいか。五指に満たないというやつだ。他になかったかな?

近頃はできるだけ実家と行き来するようにしている。高齢の老母がいろいろと怪しいからだが、プライバシー自衛のためブログでは詳細はご容赦ください。

先日、老母に付き合ってテレビで連続ドラマの『風林火山』というのの第一回の再放送を見た。NHK大河ではなく、日本テレビ制作の「年末時代劇スペシャル」の方である。

第1回の放送では、里見浩太朗演じる山本勘助が、浪人仲間の青木大膳という作中人物の提案に乗って、武田信玄の父で駿河に追放中の武田信虎に取り入るために、信虎の重臣を襲撃するという狂言を演じる。

その狂言において、勘助は本当に青木大膳を討ってしまう。

首尾よく信虎に召し抱えられた勘助は、最初の任務として信玄の元に間諜だったか刺客だったかとして派遣される。

結果、言うまでもなく勘助は信玄側に寝返るのである。

込み入った筋なので、老母はすぐには理解できず、「これ何なの?」みたいなことを私に尋ねてきた。

「だから、山本勘助は、 “裏切者” として性格づけられてるんですよ」と答えてみた。実際、第一回の放送ではこのあと、勘助が次には信玄により隣国信州の有力者・諏訪氏の元に和睦の使者として派遣され、そこで古手川祐子演じるヒロインの由布姫と出会うのである。第二回目以降の放送は見てないが、諏訪氏はいずれ武田氏により滅ぼされ、甲斐信濃のその他の名家名族も次々と討ち平らげられる。つまり諏訪氏も裏切られる。最終的には武田氏と越後の上杉氏との決戦すなわち川中島の戦いで終幕となるはずである。もう放送終わってるけど。

勘助に “裏切者” というキャラ付けをしたのは、井上靖のはずだ。青木大膳は井上の創作した虚構の人物である。勘助は一般には “稀代の軍師” として知られているが、史学的には長く実在の裏付けさえ取れていなかった。史実としての業績は、依然不明確のはずである。つか “軍師” と言われても何をした人間かイメージが湧きにくい。“裏切者” と言われたら、誰もが即座に理解できまいか。しかし唯一、主君の信玄に対してだけは、終生、忠誠を貫く。これにより、“裏切り” が巧みに “稀代の策士” というイメージにすり替わるのである。

つかそういう予備知識があればこそ、即座に言語化もできようものである。勘助の霊からは恨まれるかも知れないが、どうか泉下で先に井上靖に文句を言ってください。

予備知識を仕入れるのであれば、名作古典でなくても構わないという異論が出るかもしれない。正直私も、実はそうだと思っている。マンガでもアニメでもラノベでもいいのだ。予備知識を与えてくれる、言語化の素地を作ってくれるという効用では、大差はない。

しかし残念ながら、マンガ、アニメ、ラノベの類は、世代を超えて読者・視聴者が受け継がれないのだ。その一点において、名作古典に大いに譲るところがある。

一人の作家のことを、なんとなくでも「わかった」という気になるためにには、4~5冊ではぜんぜん足りない。10冊、20冊と読み込む必要がある。私が井上靖を読まなかった代わりに誰を読んだかというと、思い出すのはSF作家で時に「元祖ラノベ」の名を冠せられる平井和正らである。あとミステリとか。彼らが悪いわけじゃない。彼らが世代を超えて読み継がれなさそうなことが悪いのである。我ながらひどい言いぐさだなコレ。

12月19日のエントリーに、赤塚不二夫のマンガにはドロボウやキチガイがよく出てくると書いた。だが今日では『おそ松くん』や『天才バカボン』は、アニメのリメイクがあっても新規の読者を獲得するには大いなる困難に直面することであろう。いっぽう朝日新聞朝刊には現在『吾輩は猫である』が再連載中である。時あたかも12月23日付で、天道公平という作中人物が「巣鴨の瘋癲院に起居」すなわちキチガイであることが判明した。少し前の回では、苦沙弥先生宅から山の芋を盗んだドロボウが逮捕され、警官に連れられて苦沙弥先生宅を訪れる。新聞再連載という事情がなくても、『吾輩は猫である』は新しい読者に読まれ続けるだろう。だから例えばもし仮に、PCの社会的受容度の変化を説明するのに例示の必要が生じたら、『おそ松くん』と『吾輩は猫である』のどちらを引き合いに出すのが便利だろうか? 『猫』だよね。

うーむ、蟹は甲羅に似せて何とやらで、書いてみると自分自身の「教養」の薄っぺらさを、改めて再認識するだけの結果になってしまった…若いうちに名作古典を読むべきだということを、もっとまともな理由付けをして説明できる人は、たくさんいると思います(-_-;

追記:

ブコメやブログタイトルに「名作古典」と書いたのは、「名作や古典」という併記のつもりで、「古典の名作」「古典のうちの名作」という意図ではありませんでした。

私的には井上も夏目も「名作」のほうのくくりで「古典」というにはまだ新しいかなというイメージです。だから拙記事では「古典」の方は一冊も言及していません。「古典」に関しても、そのうち何か書きたいと思っています。

紛らわしいこと書いてすいません。

風林火山 (新潮文庫)

風林火山 (新潮文庫)