しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることにより人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗した

「愛知憲法会議 市民のつどい」@名古屋国際会議場と白鳥公園~神宮前駅周辺の散策

前回のエントリー に書いた理由で一日気分が悪かったのだが、今年(2017年)の「愛知憲法会議 市民のつどい」のおおざっぱな内容も記しておく。

今年はシンガーソングライターのきたがわてつ氏のコンサートと、前伊藤忠商事会長で元中国大使でもある丹羽宇一郎氏の講演だった。

今年の会場である名古屋国際会議場。

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あまり意味はないかもだが、入り口右手にあった銘板を撮ってみた。建物内部の撮影は、いつものごとく遠慮した。

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中に入って気づいたのだが、いつだったか一度来たことあるな、ここ。詳細は忘れたけど、確か何かの資格試験を受けに来たんじゃなかったかな?

隣街の大きな施設に、滅多に来たことがないという方がおかしいかもだが。

きたがわてつ氏には「ヒロシマの有る国で」「日本国憲法前文」といったよく知られた持ち歌があるが、今回は「観客と一緒に歌おう」というのがコンセプトだったのか、二曲目「千の風になって」、ラスト「ケサラ」など有名な歌を何曲も取り入れていた。

後ろの席に、合唱をやっていたのか、何者だと思うくらい歌の上手いおばちゃんが座っていた。一般性も何もありませんねすみません。

丹羽宇一郎氏は、経営者だったせいか、講演の中に数字がたくさん出てきた。25年前と現在の、中国と日本のGDPの比較であるとか、ハーバード大学に留学している中国人留学生と日本人留学生の数の比較であるとか。メモしときゃよかったけど、しなかった。検索すれば出てくると思う。

憲法の文章の長さの話題が出たときだけ、なぜかメモした。アメリカのどこかの大学が(どこかはメモし損なった)英文に翻訳して比較したところ、日本国憲法はインド憲法の25分の1、ドイツ基本法の5分の1、調査した平均の4分の1の長さしかないそうだ。

その理由の一つが「法律でこれを定める」という文言の多さだそうで、丹羽氏によると、これが日本国憲法の70年という長寿の理由の一つで、よく言われる他国の憲法の改正頻度とは直接比較できるものではないとのことだった。

ただし丹羽氏自身は、憲法改正は何が何でも認めないという立場ではないとのことだった。必要があれば憲法改正は認めるが、ただし日本国憲法の三つの柱「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」だけは、日本の宝であり決して変えてはいけないという主張だった。

事務局の本秀紀名古屋大学教授の閉会挨拶には、「はてな」のホッテントリにもなった「共謀罪」で盛山副大臣が「嫌疑ある段階で一般人ではない」と答弁した件も出てきた。

this.kiji.is

本教授は、「共謀罪」を「ワン・ピース」と表現した、特定秘密保護法、安保法制(戦争法)、そしてこの共謀罪と、安倍政権が次々と成立させてゆく法律が、権力側により強大な力を与え国民の自由を制限し、日本を戦争のできる国に変えてゆくピースの一つだという意味だ。まさにそういうことだと思う。

主催者発表によると、今年の参加者は2203名とのこと。去年までの名古屋市公会堂の大ホールは定員確か2000名なので、毎年立ち見が出たり別室でビデオ中継を流したりした。今年の名古屋市国際会議場センチュリーホールは、それでも2階席、3階席には空席も見られた。検索するとセンチュリーホールは3000席あるそうだ。だったらずっとここを使えばいいのにと思った。

   *       *       *

建物の南側には、こんな立派な像が立っていた。前に来た時にはなかったぞ確か。

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角度を変えつつ、やや接写。

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銘板を撮ってみた。元は名古屋デザイン博に出展されたものだそうだ。デザイン博なんて、赤字を糊塗するために市がゴミ箱など余った備品を10億円だかで買ったという醜聞しか覚えてない。

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本文のみ、文字起こし。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
幻のスフォルツァ騎馬像
「イタリア ルネッサンス」の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノ領主ロドヴィゴから世界最大のフランチェスコ・スフォルツァ将軍の騎馬像制作を命ぜられ、1493年11月 馬だけの粘土像(7.2m)を完成させた。
しかし、折からの戦争でブロンズでの鋳造は断念され、この粘土像もその後破壊されてしまった。
この度、この幻の騎馬像を再建させるため、1967年に発見されたマドリッド手稿や残された数々のデッサンを参考にまず2mの原型を粘土で制作した。これをコンピューターで拡大し、ブロンズでは脚部が重さに耐えないため強化プラスチック(FRP)で仕上げた。これは日本の研究と技術がもたらした世界で唯一のものである。  高さ8.3m 幅3.6m 全長8.8m

遠景。惑星記号(?)を乗せた柱は何だろう?

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さらに引いて撮ってみた。写真は撮らなかったけど、白鳥公園は新緑が瑞々しかった。

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   *       *       *

その後、熱田神宮の境内を抜け(ちゃんとお参りした)、神宮前の駅前へ。

これは秋葉山円通寺。熱田神宮に隣接している。「秋葉三尺坊大権現」という幟が何本も立っている。

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由緒書を撮ってみた。神社ではなく寺院である。

宗派が曹洞宗というのは、やはり実態は寺院である豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)といっしょだな。

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こちらも文字起こし。

秋葉山 円通寺
宗派…曹洞宗
開創…明徳二年(一三九一年)
本尊…釈迦牟尼佛、十一面観世音菩薩
鎮守…秋葉大権現
縁起…熱田両参り「熱田さま」「秋葉さま」と親しまれている
秋葉大権現は、火の神様として敬われ “火防守護” その他七難(風難・水難・盗難・輪難・貧窮不福難・不幸短命難)を除き、除災開運・家内安全・交通安全・授福繁栄の御祈願をされる神様である。
日本最古唯一の秋葉大権現ご出現霊場で、今より千八百年程前日本武尊の妃 宮簀媛命が三種の神器の一つである草薙剣を奉納した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、わが国の平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」このお寺の初めである。
そのほか、ご本堂では各種供養もおこなっております。

「熱田両参り」という言葉が出てくる。ぐぐると「□□ 参らば △△ もかけよ □□ だけでは片参り」なんて俚謡が、あちこちにあるようだ。□□ がメジャーな方で△△がマイナーな方。時として熱田の側が、お伊勢と一緒に「かけよ」なんて言われることさえある。

秋葉山、秋葉権現というのは、明治の神仏分離以前は今でいう秋葉神社との区別はなかったようで、神仏分離以後も神社ではなく寺院となったところが、他にも何箇所かあるようだ。ウィキペには、本家(?)は寺院も神社のほうも静岡県にあると書いてあった。

ちなみに寺院も神社も、主な御利益が火災除けであることは、わりと知られていると思う。さらに余計なことを言うと「秋葉原」の語源はここで、だから「第二の火」こと電気や、さらには「萌え(燃え)」や「炎上」と今でも縁が深いのであろう。

公式ホームページあった。

www.akibasan.or.jp

つい寄り道が過ぎた。言いたかったことは、秋葉山の向かいあたりに、ラーメン店「天下一品」の熱田店があるということだ。

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天下一品というのは京都発祥のラーメンの全国チェーン店で、超濃厚な鶏ガラスープが有名なところだ。偶然だと思うけどあちこちのブログで食レポを目にして、久しぶりに食べてみたいと思っていたのだ。前回のエントリー冒頭に書いたように、あえて少し遠回りになる神宮前駅を利用したゆえん。

店内の撮影は遠慮した。ここは昔からある店だからか、なんつーか油の染みた感じで、決して小ぎれいな全国チェーン店という感じではない、おっちゃんが生計のためにやっているローカルなラーメン店という雰囲気だ。もっともチェーン店だって、従業員は生計のためにやっているのだが。またチェーン店のやたらと小ぎれいなところは、本部が定期的な改装を指示していて、しかもそれが「統一イメージを崩さないため」との名目で割高な本部指定業者にやらせなきゃいけなかったりで、要するに二重三重に本部から搾取されているという実態を知っているので、これはこれでいいんじゃないかとも思う。

ギョウザ定食というのを頼んでみた。中国人は驚くという主食つか炭水化物のオンパレード。

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ラーメンスープは相変わらず超濃厚。パカっとひっくり返したら、プリンみたいに型が抜けるんじゃないか…とまでは言わないが、ぜってー対流してないぞこれ。そんなで口直しのためにも白飯はあった方がいい。でなきゃビールと一緒にでも、と言いたいところだが、私はアルコールがダメなので。

しかし、ここのせいじゃないけど、「久しぶりに食べたいかな?」と思ったものは、実際食べてみると「こんなもんか、こんなもんだったよな?」感が出ておしまいということが、よくある。