- 作者: 瀬戸内寂聴
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/10/28
- メディア: 文庫
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抹香臭いどころか、なんと生々しいというか艶めかしいというか、そんな記述の多いことか。例えば浄土三部経で有名な、マガダ国のビンビサーラ王が実子のアジャータサットゥ太子に幽閉されるエピソードは、こんなふうに記述される。
ビンビサーラ王は牢の中で、なかなか落命しなかった。あとで聞いた話によると、王妃は太子の目を盗み、脂と蜂蜜とはったい粉をまぜて練り合わせたものを、自分の衣服の下の裸身に塗りつけ、耳飾りや首飾りの宝石をうがった中に葡萄酒を入れ、牢獄を密かに訪れては、王に自分の躯を隈なく舐めさせ、葡萄酒を呑ませていたのだった。
(p145)
これよりもっと生々しい、あるいは残酷な記述が、いくらでも見られる。愛欲や煩悩(瀬戸内氏は「渇愛」という言葉を使う)が深ければ深いほど、救済を求める心も強くなるのだろう。それはわかる。だが肝心の救済(「阿羅漢に達する」と表現される)がどんなものなのかは、この本を読んだだけではわからない。おそらくどんな活字を読んでも、活字を読んだだけではわからないことだろう。それもまた当然と言うか、仕方のないことである。
この本の語り手はアーナンダ。釈迦の十大弟子の一人で「多聞第一」(釈迦の言葉を最も多く聞いた)と言われる人物である。我々は中島敦を読んで子路となり孔子に仕え、太宰治を読んでイスカリオテのユダとなりイエスを仰ぎ見ることができる。代わりにというわけではないが、それが活字を読む楽しみの一つというものであろう。
(いらんことだが、アジャータサットゥより阿闍世、アーナンダより阿難という漢字表記のほうが、個人的にはしっくり来るなぁ。さらにいらんことだが「抹香臭い」に関してp11に、世尊(=同書中で釈迦はつねにこう呼ばれる)は衣食住には徹底的に質素であったが、香だけはお布施があると惜しみなく焚かせたという意味のくだりがある。同書中に説明はないが、蚊を追ったのかな?殺せないから)
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